偉人のエピソード逸話集

創業者、名経営者、政治家、偉人のエピソード、逸話を大公開!

吉田松陰

吉田松陰(よしだ・しょういん)略歴
1830年~1859年(文政13年~安政6年)長州藩士、思想家、教育者、兵学者。萩城下松本村で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。1854年、ペリー2度目の来航の際、長州藩足軽・金子重之助とともに密航計画を企てるも失敗、萩の野山獄に幽囚される。1855年、生家で預かりの身となるが、1857年、叔父の玉木文之進が開いていた私塾・松下村塾を引き受けて主宰者となり、高杉晋作をはじめ久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、吉田稔麿、前原一誠など、維新の指導者となる人材を教え育てる。1858年、幕府が勅許なく日米修好通商条約を結ぶと松陰は激しくこれを非難、老中・間部詮勝の暗殺を企てた。長州藩は警戒して再び松陰を投獄。1859年、幕府の安政の大獄により長州藩に松陰の江戸送致を命令。松陰は老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、同年、江戸伝馬町の獄において斬首刑に処される。29歳で没。

関連サイト
このブログのトップページ(目次) http://bit.ly/xLH35E
吉田松陰語録 http://bit.ly/wJDF0W




吉田松陰の知られざる逸話

平成24年1月22日
題名:「国や企業の盛衰は人材にあり」



国が根幹とすべき政策とは何か? と政治家に聞いてみると、ある人は「憲法」だ、ある人は「安全保障(国民の生命と財産を守る)」だ、ある人は「経済の繁栄」だと答えるだろう。その政治家の価値観によって様々な考え方があると思うが、確かにどれもこれも国の根幹をなす大事なことには違いない。しかし私が考える国がすべき最も大事な施策は何かといえば「教育」ではないかと思う。

幕末の長州藩に山田亦介(やまだ・またすけ)という海防や軍艦製造に関わり、兵制改革に当たって西洋式を採用した非常に先見性のある武士がいた。ほぼ無名といってもいい人物であるが、この男は日本史にはかりしれない大きな功績を一つ残していると思う。それは吉田松陰(よしだ・しょういん)という人材を育てたことである。松陰は幕末の思想家、教育者で、叔父の開いていた私塾・松下村塾(しょうかそんじゅく)を引き受けて主宰者となり、高杉晋作をはじめ木戸孝允、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、山田顕義(山田亦介の甥で初代司法大臣)など、維新の指導者となる人材を教え育てたことで知られるが、この松陰に長沼流兵学を教授し、世界の大勢に着目することを教えた師が山田亦介であった。松陰は29歳の若さで亡くなる。そして山田亦介も間もなく亡くなるが、この二人が亡くなった後、松陰や山田の教えを受けた弟子たちが明治という新しい国家をつくり上げていった。

私は教育の素晴らしさ価値というものはここにあると思う。山田が松陰という人材一人を育てたことで、極東の小国だった日本が明治時代に近代化を成し遂げ世界5大国の一国に仲間入りができるまでになったのだ(もちろん長州の人間だけで明治という国家がつくられたわけではないが)。

逆にもし人材を育てることをしなければどうなるか、間違いなく国は衰退するであろう。このことは企業においても同じことがいえると思う。世界の鉄鋼王・カーネギーは「財産を子息に残すのは、子孫に呪いをかけるようなものだ」と言ったがその通りだと思う、創業者が財産や土地などを子息に残してもろくなことがない。大抵、資産を食い潰して終わるのがオチである

残すものは物質的なものではなく。「商人道」や「商売道徳」といった経営をしていくための背骨となる指針であったり、考え方ではないかと思う。そのことを教えてくれる、いいお手本となる企業がある。それはイオンである。さらにいえば私はイオンほど物語チックな創業の話をほかに知らない。

イオンの創業者は三重県で250年続く老舗呉服屋の岡田屋7代目として生まれた岡田卓也である。卓也は大学在学中に軍隊入隊を余儀なくされ、20歳で終戦を迎え郷里の三重県の四日市へ帰ってきたが、岡田屋の建物は全焼していた。先代が営々と築いてきたものの全てが焼けてなくなってしまったのだが、一つだけ焼残っているものがあった。それは岡田屋の「土蔵」である。土蔵の中には、父親の日記が残されていた。父親は卓也が2歳の時に亡くなっているので会話を交わすことはなかった。しかしこの日記から父親から教えを受けることになる。日記には「すべての事業は、まず志を立てることが肝要だ」ということが雄弁に語られていた。さらに父親が16、17歳の頃にあげた目標が記されていた。「行商をしながら、東海道をさかのぼり、東京に向かう。そして、当時の日本の産業の大立者、渋沢栄一翁に会いに行く」というものであった。そして、父親は本当に、四日市や桑名等の地元で産物を背負い、行商を重ねながら旅費を稼ぎ、東海道をさかのぼる。ついに東京にたどり着き、実際に渋沢栄一との面会を実現させたのである。その時の父親の感激が日記にありありとつづられていたという。

この父親の日記を焼残った土蔵の中で読んだ卓也は強い衝撃を受ける。「とにかく志を立てることが、事業を推進する最大の原動力だ」と奮い立ち、この父親の教えを商売の指針とし、裸一貫から家業の復興に取り組んだという。そして今日のイオンの土台を築きあげた。

余談になるが政治の世界では24日から通常国会が始まるが、先日、副総理に就任したのがこの岡田卓也の息子の岡田克也である。日本の将来の道筋を示す社会保障と税との一体改革を成し遂げられるか、どうかはこの男の力量にかかっているともいえるだろう。克也は、元々は政治家になろうと思っていたわけではない。幼小の頃はタクシーの運転手になりたかったという。イオンの倅がそんな普通のことを考える子供だったのかと思うかもしれないが、克也が生まれたのは昭和28年。まだ実家は呉服と日用衣料品を売っているにすぎず、地元のちょっとした小金持ちの名士といったところであろうか。しかし父親の背中を見て育ったからか、学生時代に公のための働きたいという気持ちがふつふつと沸いてきたという。そして東大を卒業後、進路に選んだのが通産省(現・経産省)であった。この時もまだ政治家になることはまったく考えていなかったが、通産相にいる時に米国に留学したことがきっかけとなったようだ。宇宙戦チャレンジャーの爆発事故があり、当時、大統領であったレーガンの4分間の真摯な演説を聞く。犠牲者を心から悼みながらも、宇宙計画は断固続行するという力強いものであった。この演説を聞いた国民がとても勇気づけられていることを実感する。この瞬間、米国の地で政治や政治家の果たす役割の大きさ、政治の可能性の大きさに気づき、政治家を志すことを決意したという。そして通産省を辞めて36歳で国会議員になった。

今回、副総理を引き受けたことは評価したい。社会保障と税との一体改革の取りまとめを期待されてのことであろうが、取り巻く状況は非常に厳しい。その上、失敗すれば総理のポストは遠のく。もし総理になることを一番に考えるならば副総理を引受ない方が無難であったであろう。それをあえて引き受けたところに覚悟だけは感じる。

世論調査で消費税の増税に約半分が賛成、半分が反対であるが、どちらにしても国民感情としては、増税の前に議員定数の削減、公務員の給与カットが先であろう。通常国会冒頭にまずこの二つを取りまとめられるかどうかが鍵になる。取りまとめが出来なければ、国民は増税に納得しないだろう。ここは総理の道や政治生命が断たれようが、国益のために働くことを期待したい。
スポンサーサイト
  1. 2012/01/22(日) 23:22:15|
  2. その他
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<岡田卓也と岡田克也 | ホーム | 秋山真之>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://tamiyataku2.blog.fc2.com/tb.php/87-5d005718
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)