偉人のエピソード逸話集

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田中角栄「約束を守る政治家」

田中角栄(たなか・かくえい)略歴
1918年~1993年(大正7年~平成5年)内閣総理大臣(第64・65代)。新潟県刈羽郡で誕生。二田尋常高等学校卒。1934年、理化学研究所の大河内正敏所長を頼りに上京。住み込みなどを経て、建築設計事務所を開く。1936年、中央工学校土木科卒。1947年、2度目の立候補で衆議院議員に初当選。郵政相、蔵相、自民党幹事長、通産相を歴院。1972年、第64代内閣総理大臣。1976年、ロッキード事件で逮捕される。75歳で没

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田中角栄の知られざる逸話

平成22年10月31日
題名:「約束を守る政治家」
 



昨今、政治家の言葉が軽くなったといわれる。どんないい政策を口にしようと結局のところ信用がなければ実現は難しいのではなかろうか。与野党の政治家とはず、約束は守る。言ったことは実行する。こういったあたり前のことの積み重ねがあって初めて国民が信用し発言にも重みが出て、政策の実行に移せるのではなかろうか。昔の政治家の方がこのことに重きを置いていた、例えば故・田中角栄がそうであった。

自民党副総裁まで登り詰め、87歳まで現役であった二階堂進(にかいどうすすむ)は「趣味は田中角栄」と言い放ったのは有名な話であるが、田中の方が9歳も年下である。9歳も年下の男をそこまで言い放つとはよほどの惚れ込みようといえるが田中との最初の出会いがそうさせたのかもしれない。

二階堂が衆院商工委員長に就任したのは当選5回(旧鹿児島3区)の時で、1963年(昭和38年)池田政権下であった。就任早々、1964年度予算の編成がはじまった。そんな時二階堂のもとにジェトロ(日本貿易振興会)会長の杉道助(すぎみちすけ)が訪れて来た。ジェトロは前々から5億円の政府出資を強く求めていたが、毎年、大蔵省査定(現財務省)はゼロ。杉は、「これだけは是が非でも獲得してほしい。私の冥土のみやげにしたい」と懇願してきた。杉は大阪商工会議所会頭を長年つとめた関西財界の重鎮、ジェトロ生みの親でもある。この時既に79歳の高齢であるがジェトロにかける杉の情熱に心打たれた二階堂は「引受けました」と承諾する。そして若き大蔵大臣(現財務大臣)であった田中角栄を訪ね直談判する。田中は「わかりました。約束しましょう」とあっさりとOKした。「それは男の約束ですね」と二階堂は念を押して別れた。しかし事務次官折衝の段階で削られ、ジェトロ担当官庁の通産省(現経剤産業省)も降りてしまっていた。予算案ができあがり、閣議にガリ版刷りが持ち込まれる直前に、杉会長から「5億円が入っていません」と電話がかかった。二階堂は慌てて大蔵大臣室に駆け込んで「ジェトロの5億円は、男の約束だったのではないか。一体どうしたのか」と詰め寄った。田中は「そうか。すまなかった」と言うなり、直ぐに主計局長を呼び「大臣命令だ」と5億円の計上をその場で指示したのである。この書類訂正のため、予算閣議が約1時間遅れた。

杉は翌年死去し言葉どおり冥土のみやげになった。「あの時の男の約束が田中さんと私の最初の人間的な出会いであった」と後に二階堂は述懐する。竹下登が創政会を旗揚げした時も二階堂はこれに与せず最後まで田中を支えた。

また、休日の東京・目白の田中邸には朝から各界、各層の陳情客が100人単位で列をなしていたというが、田中は一人一人順番に陳情の内容を聞き「よし分かった」「それは出来る」「それは出来ない」とその場で陳情をさばいていった。田中が「分かった」と言ったものに関しては100%実行されたという。

この時代、大勢の聴衆の前で演説をしても私語がなく黙って話を聞かせられるのは田中角栄と中曽根康弘といわれたが、言ったことは守る政治家という認識があるから真剣に話に耳を傾けるのだろう。昨今、大勢の聴衆の前で話しを黙って聞かせられる政治家は残念ながらいないかもしれない。
 
文責 田宮 卓

参考文献
岩見隆夫 「政治家に必要なのは、言葉と想像力と、ほんの少しのお金」毎日新聞社
小林吉弥 「究極の人間洞察力」 講談社
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  1. 2010/10/31(日) 21:16:31|
  2. 田中角栄内閣総理大臣(第64・65代)
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  1. 2014/07/13(日) 01:01:26 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

Re: そうですね

> 田中角栄総理大臣は 戦後の大臣では 一流です 小泉純一郎より 上ですね。日本中国平和に 尽くした。 新潟の お国に尽くした。世界平和 日米の外交に尽くした。 日本政治家の 模範的人物です。


また、人間学の大家でもあると思います。金権と批判する人もいますが、あれだけの人望や求心力のあった人物は歴史上でもそうはいないと思います。
  1. 2014/07/14(月) 08:02:49 |
  2. URL |
  3. 偉人エピソード逸話集 #-
  4. [ 編集 ]

金権と批判されること自体が、どうにもやっかみのようなところが見え隠れする部分があると思います。
金権も何も、今以上に学歴社会の風潮が顕著であった昔において、学歴のない人間があれだけの財を成すというのは通常では考えられないこと、
大卒の人間は学閥で綺麗な金が入りますが、田中にはそれがない。
その環境から、あそこまでの財と権力を手にしたこと自体が努力の現れであると思えます。
それこそ、当時の日本の風潮を考慮すれば、見下され、歯牙にもかけられないような言動をとられることなんて、数え切れないくらいあったと思われますね。
にもかかわらず、ひねくれ、曲がっていかなかったことも凄い精神力だと思います。
  1. 2014/12/24(水) 02:12:26 |
  2. URL |
  3. #-
  4. [ 編集 ]

Re: タイトルなし

田中角栄にお金を貰って助かった人は山ほどいるようですね。落選後の面倒を見てもらった人、選挙資金を援助してもらえて当選出来た人など。ビジネスの世界でも、起業した人がいたとして、その人に対して、ただ口で「頑張れよ」というのと、実際に資金を出してくれるのとでは有難味は雲泥の差だと思います。見逃されがちなのは、田中角栄は人のためにお金を使っていたところだと思います。このことが結果的に自身の見方を増やすことになったと思います。お金の使い方も一流だったと思います。やはり田中角栄は傑出した人物ですね。


> 金権と批判されること自体が、どうにもやっかみのようなところが見え隠れする部分があると思います。
> 金権も何も、今以上に学歴社会の風潮が顕著であった昔において、学歴のない人間があれだけの財を成すというのは通常では考えられないこと、
> 大卒の人間は学閥で綺麗な金が入りますが、田中にはそれがない。
> その環境から、あそこまでの財と権力を手にしたこと自体が努力の現れであると思えます。
> それこそ、当時の日本の風潮を考慮すれば、見下され、歯牙にもかけられないような言動をとられることなんて、数え切れないくらいあったと思われますね。
> にもかかわらず、ひねくれ、曲がっていかなかったことも凄い精神力だと思います。
  1. 2014/12/24(水) 20:31:55 |
  2. URL |
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