偉人のエピソード逸話集

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大屋普三(帝人元社長)

大屋普三(おおや・しんぞう)略歴
1894年~1980年(明治27年~昭和55年)帝人元社長。群馬県生まれ。東京高等商業(現・一橋大学)卒。旧鈴木商店を経て帝国人造絹絲(昭和37年帝人に社名変更)社長。戦後、政界に出て商工相、蔵相、運輸相を歴任。昭和31年に帝人に復帰して会長(兼社長)。85歳で死去するまでワンマン社長ぶりを発揮し続けた。

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大屋普三の知られざる逸話

平成21年2月22日
題名:「安定だけで会社を選んでいいのか?」



明治(1894年)に群馬県の田舎で生まれ、正月でも餅どころか米すら一粒もなく、麦を炊いて味噌を舐めて飢えを凌ぐような少年時代を過ごし、辛い目に遭うたびに「今にみていろ」とこぶしを握りしめながらひたすら勉学に励み、やがて東京での働き口を探し、東京での公証役場で働きながらそこでも苦学をして見事に東京商大(現・一橋大学)に合格した男がいました。

大学卒業後、彼が就職先に選んだのは、財閥系でも名門企業でもなく、若くても大きな仕事を任せてくれる当時の神戸の新興企業、鈴木商店でした。鈴木商店は若い会社だけに新入社員にも大きな仕事が任せられました。その環境をふるに活かし、樟脳と薄荷(はっか)の取引に彼の能力はいかんなく発揮されます。

そして彼はそこでの働きぶりが評価され、鈴木商店がおこした会社である帝人が岩国に工場を建設する際の岩国工場建設事務所長に抜擢され、メキメキと頭角を現します。

彼が後に帝人の社長を20数年勤め、吉田内閣の商工大臣、運輸大臣を勤めた大屋晋三です。

今不景気ということがあり学生が就職先として選ぶのが安定している大企業や公務員が多いようです。しかし、つい1年前まで安定していると言われていた大手のメーカーを中心に今大幅な人員削減を行っております。安定をしていると思って入社した会社が5年後、10年後も存続している保証はどこにもありません。

それであれば若くても権限を与えられて真に実力をつけられる環境のある、大企業以外の会社に就職する選択肢もあるのではないか。真に実力がつけば仮にその会社が無くなったとしても他の会社から必ず声がかかるはずです。大手企業に入社したがために何時までたっても実力がつかない環境で仕事をしなければならいことも考えられます。その会社が定年まで存続すればいいかもしれませんが、途中で働くことが出来なくなった時に実力が伴っていなければ再就職はとても厳しいでしょう。


文責 田宮 卓 
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  1. 2009/02/22(日) 10:26:52|
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