偉人のエピソード逸話集

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加藤辨三郎(協和発酵キリン初代社長)

加藤辨三郎(かとう・べんざぶろう)略歴
1899年~1983年(明治32年~昭和58年)協和発酵工業(現・協和発酵キリン)初代社長。島根県生まれ。京都帝国大学工業化学科卒。宝酒造に入社後京大大学院にすすみ発酵の研究で博士号取得。戦後、協和化学研究所に出向。昭和24年、協和発酵工業の設立とともに初代社長に就任。昭和44年、会長。在家仏教協会理事長。著者に「私の履歴書」(日本経済新聞連載、昭和44年12月)。84歳で没。

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加藤辨三郎の知られざる逸話

平成21年9月25日
題名:「産業人が失いつつある精神」


戦後は政治家も経営者も国民を飢えさせないことを第一に考えそれぞれの立場で日本の経済復興に全力で取り組んできました。そこには名誉欲、金銭欲といった私利私欲はあまりなかったでしょう。このことを医薬の分野で経済復興に貢献した加藤辨三郎(かとうべんざぶろう)という人物のエピソード通じて一例を述べてみます。

1950年(昭和25年)の夏、協和発酵工業(現・協和発酵キリン)の創業者、加藤辨三郎は発酵バイオビジネスで世の中に貢献するという壮大のビジョンを携えアメリカに行った。目的は米国メルク社と結核治療薬ストレプトマイシン製造の技術導入に関する契約を結ぶためだ。契約の交渉は交渉というよりも先方の提案を丸呑みさせられる結果となった。

しかしこのことが、日本人の死亡率の最高が結核によるものであったのが、それを一挙に6位にまで下げることができた。協和発酵工業は利益を上げることが出来、日本の結核撲滅に大きく貢献した。

それから数年後の1956年(昭和31年)協和発酵工業はグルタミン酸製造法で画期的な発明をした。グルタミン酸はアミノ酸の一種で「味の素」の主成分である。味の素社は創業以来、これを小麦または大豆のタンパク質を塩分で分解して造っていた。

そこへ、協和発酵工業はそれと全く異なる方法を発明したのである。澱粉(でんぷん)または糖蜜とアンモニアを原料とした発酵法で造るのだが、分解ではなく合成によるものである。原料も安く工程も簡単なためグルタミン酸の原価が大幅に下げられることが予想された。

この発明が海外にもいち早く報ぜられ、数社から技術を買いたいと申込みが来た。その一社がメルク社であった。メルク社にはかつてストレプトマイシン製造の技術導入をした時の契約書を題目とアメリカとあるところを日本にすりかえた程度でそのまま提示した。メルク社は条件が厳しすぎるといったが、「これはかつてあなたがたが私を説得したそのままの条件ですよ。ご不満はよく分かるが、かつての私の不満も察してもらいたい」といったところ契約は原案がそのまま通った。こうしてわずか数年の間に協和発酵工業は外国から特許料を受け取る会社に成長したのである。

加藤辨三郎は食料とも、医薬品ともなるアミノ酸類が大量に安価に生産されることは将来、人間の生活の上で大きな貢献をするのにちがいないと確信したという。

医薬品産業の特色は研究開発指向という点であり、売上に対する研究開発費の比率が10%を超えるといわれ、全産業でトップクラスである。新薬(自社品)として市場に出る確率は、10000分の1~20000分の1ともいわれる。それだけ、ハイリスク・ハイリターンな産業といえます。リスクが高い分、成功すると新薬は何万人もの医師に匹敵をするともいわれるように人類に大きな貢献をもたらすことが出来ます。

しかし私利私欲に囚われた利益だけを考えての新薬の開発は必ず失敗します。過去の成功したケースを調べてみると、加藤辨三郎のように世のため人のためという純粋な精神が必ずあります。新薬にかかわらず、どの産業にもいえることだと思いますが、現代の産業人はこの純粋な精神を失いつつあるような気がします。 
 
文責 田宮 卓        
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  1. 2009/09/25(金) 09:08:54|
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