偉人のエピソード逸話集

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奥村綱雄(野村證券元社長)

奥村綱雄(おくむら・つなお)略歴(プロフィール)
1903年~1972年(明治36年~昭和47年)野村證券元社長。滋賀県生まれ。京都帝国大学経済学部卒後、野村證券に入社。調査、企画各部長。取締役京都支店支配人。昭和23年同社社長。経団連評議員副議長等経済界の要職のほか、日本ボーイスカウト連盟理事長他を歴任。69歳で没。著書に「僕のダイヤモンド経営」「わが半生涯」

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奥村綱雄の知られざる秘話

題名:「逆境が人を大きくする」



自伝、他伝などの多くの伝記を読んでいて感じることは、凡そ大成した人物で最初から最後までずっと順調だった人がいるであろうか、恐らくいないであろう。誰でも逆境の時は必ずあり、それを乗り越えることで人間が大きくなり、何よりも人情の機微にたけ人を励まし勇気づけることが出来るようになるのではなかろうか。

雑誌「経済界」の創業者であり主幹の佐藤正忠(せいちゅう)は1969年(昭和44年)の衆議員選挙に郷里の秋田から出馬して落選した。選挙違反というおまけまでついて、短期間ながら刑務所にもぶち込まれたことがある。

佐藤は暗澹たる気持ちで野村證券本社に以前から付き合いのあった奥村綱雄(おくむらつなお)元社長を訪ねた。奥村は佐藤の顔を見るなり目に涙をいっぱい浮かべて「おめでとう正忠君!これで君もやっと一人前になる。今日はおめでたい日だ。いいかね、気を落とさずに頑張るんだぞ」奥村は常々「人間が一人前になるには、大病をするか、刑務所に入るか、放蕩をするか、いずれかの苦労をしなければいけない」と言っていたという。その第2の刑務所に入る経験をしたのだから「君はこれでものになるぞ」と奥村は励ましたのであった。佐藤は私のように逆境のどん底に落とされた人間にとって、「地獄で仏に会った」とはまさにこのことだという。このエピソードは佐藤正忠本人の著書「わが戦後財界秘史①身命、果てるとも」(経済界)の中に書かれているのだが、奥村の台詞を読んで私は思わず「を?」と思い可笑しさが込み上げてきた。

何故なら、この台詞は奥村が45歳の若さで野村證券の社長に就任した時に、「電力の鬼」松永安左エ門(やすざえもん)に言われた台詞そのままであったからである。

奥村綱雄は1948年(昭和23年)4月から1959年(昭和34年)6月までの11年2ヶ月、45歳で社長に就任し56歳まで社長を務めたのだが、社長就任時に「電力の鬼」松永安左エ門のところへ就任の挨拶に行った。松永はこの時73歳。「人間は3つの節を通らねば一人前ではない。その一つは浪人、その一つは闘病、その一つは投獄だ。君はそのどの一つも経験していない」と一発かまされた。これには、意気軒昂(いきけんこう)の奥村もシュンとなったという。松永は確かに浪人、闘病、投獄の全てを経験している。奥村は補欠入社、左遷、部長代理で各地を転々とし、サラリーマンとしては決して順調な道を歩んできたわけではないが、あらゆる修羅場をくぐり抜けてきた大先輩からのこの言葉には返す言葉はなかったであろう。

しかし奥村は社長の座にあった間にダイヤモンド経営の名の下に、「投資信託運用部」「外国部の創設」「ニューヨーク支店の開設」「社員の海外留学制度の実施」などを手掛け今日の野村證券の礎を築き「野村證券中興の祖」といわれるようになった。社長としては成功者といっていいであろう。

奥村は後に作家の山崎豊子に松永とのこのエピソードを「確かに私は、浪人生活も、闘病生活も、投獄生活も経験していない。だが社長在任11年間、社長室に座っているときは、日々之(これ)牢獄の思いで過ごしてきた」と答えたという。それだけ社長業は浪人、闘病、投獄の全てあわせ持ったほど過酷なものなのであろう。

文責 田宮 卓

参孝文献
小島直記 「逆境を愛する男たち」 新潮文庫
小島直記 「野村王国を築いた男」 集英社文庫
佐藤正忠 「わが戦後財界秘史①身命、果てるとも」経済界
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  1. 2010/11/10(水) 10:49:07|
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