偉人のエピソード逸話集

創業者、名経営者、政治家、偉人のエピソード、逸話を大公開!

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スティーブ・ジョブズ(アップル創業者)

スティーブ・ジョブズの略歴
1955年~2011年(昭和30年~平成23年)アップル創業者。2月24日生まれ。両親が結婚を認められなかったため、ポール・ジョブズ、クラリス・ジョブズ夫婦に養子として引き取られる。1972年、リード大学に進学するものの半年で中退。1974年、アタリ社入社。1975年、ウォズと共にApple Iを開発。1976年、Apple Iを販売。その利益で、ジョブズ・ウォズ・マークラで「アップルコンピュータ」を設立。1980年、アップルコンピュータの株式を公開(IPO)。1985年、アップルを辞任、新しい会社NeXTを立ち上げる。1997年、アップルCEOに暫定で復帰。1998年、iMacを発売。2000年、正式にアップルのCEOに就任する。2001年、iTunes、iPod、Mac OS Xを発売。2007年、iPhoneを発売。2010年、iPadを発売。2011年10月5日死去。56歳で没

関連サイト
このブログのトップページ(目次) http://bit.ly/xLH35E
スティーブ・ジョブズ(アップル創業者)語録 http://bit.ly/1j5RV8Q
御手洗毅(キヤノン初代社長)語録 http://bit.ly/w3rD8W
小平浪平(日立創業者)語録 http://bit.ly/As5ZOH
山下長(オリンパス創業者)語録 http://bit.ly/Aisp9q
豊田佐吉語録 http://bit.ly/oZ31S3






スティーブ・ジョブスの知られざる逸話

平成23年12月5日
題名:「開拓者魂」



この世界には2種類の人がいる。新天地を切り拓く「開拓者」と、開拓された地で学校や病院をつくって暮らす「定住者」である。

もし開拓者がいなくなり定住者だけになれば、限られた場所に人があふれて困ってしまう。勇気を持って未開の地を切り拓く開拓者がいなければ世の中は発展しない。そう考えると開拓者とは実に貴い存在であると思う。そしてこの「開拓者」の塊(かたまり)のような人物が、先日(2011年10月5日死去)亡くなったアップルの創業者、スティーブ・ジョブズではなかろうか。

ジョブスが生んだMac(マッキントッシュ)は、専門知識を持った人しか扱えなかったコンピュータを「誰でも使えるパソコン」に変えた。iPodは「音楽はCDショップまで出向いて買うもの」という消費者行動を一転させ、自宅で最新の楽曲を買えるようにしただけでなく、音楽業界の秩序を塗り替えた。iPhoneは通信キャリア主導の業界に、大きな風穴を空け、携帯電話の常識を紛糾してくれた。

ジョブズは「他社がやっているこの製品と同じものをつくれ」と現場に命令したことは一度もなかったという。「世の中にないもの、世界が驚くものをつくる」これがジョブズの信念であり、アップルと他社を差別化する最大のポイントであった。

また、デザインは単なる表面的な見た目ではなく、「人類の創造物に宿る根源的精神」つまりデザインは機能そのもので、デザイン=機能という新しい概念を持ち込んだのも画期的なことであった。

しかしこの開拓者魂あふれる経営者は、何もジョブズだけではい。日本ではかつてのソニーやホンダに代表されるが、他にも開拓に信念を燃やした経営者が沢山いた。

キヤノンの初代社長の御手洗毅(みたらい・たけし)は西ドイツ(当時)のライカがカメラの世界マーケットで圧倒的な強さを持っており、キヤノンはその足元にも及ばなかったが、

「キヤノンはライカに追い付き、ライカを追い越す。世界一が念願だ。よそが真似できない、世界一のものをつくれ」と檄を飛ばして、ライカにもない独自の機構のカメラを創りあげた。「キヤノンはあくまでも、高品質で世界一を目指す」これが御手洗の揺るぎない信念であった。

また、明治時代には小平浪平(おだいら・なみへい)という青年が、茨城県の人里離れた鉱山の草深い谷間に粗末な丸太小屋をつくり、そこで発電機を国産技術で製作すると息巻いた。当時の日本で発電機を独自で創るのは荒唐無稽(こうとうむけい)な話しであったが、小平の外国に頼らない国産技術の確立に対する情熱は並々ならぬものがあった。何度も試行錯誤を続け、ついに日本初の発電機に成功する。これが現代の日立の始まりである。アップルの始まりは小さな家のガレッジからであったが、日立の始まりも人里離れた丸太小屋からであった。

そして今問題になっているオリンパスも創業者の山下長(やました・たけし)の「何とか国産の顕微鏡を作りたい」という強烈な思い、夢から始まった。日本の顕微鏡は、明治以来、西洋医学とくに細菌学の発達に伴い、その儒要は急増していたが、全て外国製品に依存する状態であった。そこで奮起したのがこの山下であった。今も世界の消化器内視鏡のシェアの70%がオリンパスである。

財テクの失敗による社長3代に渡っての損失隠しとは何とも情けない話である。当時、財テクに走ったのは何もオリンパスだけではなかったが、やはり偉大なメーカー企業であるための存在意義は開拓者であり続けることにあるのではないか。このことをジョブズが教えてくれたが気がする。

ジョブズが1997年にアップル再建のため暫定CEOに復帰した時の年俸はたったの一ドルであった。ジョブズにとってお金は問題ではない。そして2011年夏、アップルは巨大石油企業のエクソン・モービルを追い抜いて株式時価総額で世界一にとなり、業績は創業以来最高となった。ジョブズには自身の年俸もそうであるが、財テクで再建しようとかそんな発想は微塵も持たなかったであろう。ジョブズは全世界に開拓者であることの貴さ、存在意義、結果的に世界一の企業になれることを示してくれた。恐らくエジソンに続く偉人としてその名を世界の歴史に残すであろう。

そして、日本の開拓者でもう一人忘れてはいけない人物がいる。それは発明王といわれたトヨタグループの創業者、豊田佐吉(とよだ・さきち)である。最後に彼の残した言葉を紹介したい。発明・発見は何も一部の特別な人だけが持っている能力ではない。

未開の秘庫は、扉を開けてくれと呼びかけている
「発明発見とか、創意工夫の世界は、あくまでも広大無辺で、今まで人間の踏み込んだ地域は九牛(きゅうぎゅう)の一毛(いちもう)にも達していない。その大きな未開の秘庫は『早く扉を開けてくれ』と、中からいつもわれわれに呼びかけている。しかもその扉を開く鍵は、いつも、どこにも、誰の足下にも転がっておるのである」豊田佐吉


文責 田宮 卓
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  1. 2011/12/05(月) 15:50:11|
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