偉人のエピソード逸話集

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松永安左ェ門(電力の鬼)

松永安左ェ門(まつなが・やすざえもん)略歴(プロフィール)
1875年~1971年(明治8年~昭和46年)電力中央研究所所長。長崎県壱岐郡生まれ。慶応義塾中退。日本銀行員、石炭商等を経て明治42年に福博電気軌道の設立に加わり、電気事業経営に関係。その後、九州電燈鉄道(現・九州電力)、旧東邦電力の経営に参画。戦後、電気事業再編成審議会会長に就任、国営電力会社を分割し、民営による九電力体制を築きあげた。トインビー「歴史の研究」の翻訳も手掛けた。95歳で没。署書に「松永安左ェ門著作集(6巻)」

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松永安左ェ門の知られざる秘話

題名:「明治の義理堅い男たち」



昨今、自分の身が危なくなると「部下がやったこと」、「秘書がやったこと」で自分は何も知らなかったといい逃れをするトップが多い。そもそも不正はあってはならないことなのだが、せめて身内や仲間を庇うことぐらいは出来ないのであろうか。責任を他人に押し付けて平気な顔をしているのは何とも人間が小さく恥ずべきことである。そういった面では明治の人達は実に義理堅く人物が大きかったといえる。

1948年(昭和23年)奥村綱雄(おくむらつなお)が45歳の若さで野村證券の社長に就任した時に、「電力の鬼」松永安左エ門(やすざえもん)のところへ就任の挨拶に行った。松永はこの時73歳。「人間は3つの節を通らねば一人前ではない。その一つは浪人、その一つは闘病、その一つは投獄だ。君はそのどの一つも経験していない」と一発かまされた。これには、意気軒昂(いきけんこう)の奥村もシュンとなったという。松永は確かに浪人、闘病、投獄の全てを経験している。

松永は1907年(明治40年)、32歳のとき、株式大暴落でスッテンテンになり家まで焼けた。神戸の灘の住吉の呉田の浜の家を借りて、二年分の家賃を前払いして籠城したことがある。 「闘病」は1890年(明治23年)15歳の頃、慶応大学在学中にコレラにかかって生死の境をくぐった。

「投獄」は1910年(明治43年)35歳の時であるがこの時の話が思わず凄いと思ってしまう。投獄の経緯はこうだ。当時、大阪市民の間に市政刷新の声があがり、それは司直を動かして、市助役などの実力者の身辺が洗われた。それで「箕面有馬(みのうありま)電軌」の市内引込線問題にからむ収賄事件が発覚し同社専務の小林一三(阪急グループ創業者)とともに松永は大阪警察に逮捕され、堀川の未決監に放り込まれたのである。松永は小林の2歳下でともに慶応義塾に学んだが学生時代は知り合いではなかった。小林が三井銀行に勤めるようになると共通の先輩で三井銀行の大阪支店長だった平賀敏という男がいてこの先輩の紹介で最初に知合った。

電車の市内乗り入れには、大阪市会の承認がいる。そこで小林はどうすれ承認が得られるか平賀に相談した。すると「市長はロボットに過ぎない。実権は、助役の松村敏夫、七里清介、天川市会議員の三人が握っている。この連中を動かせばうまくいくかもしれない」そして平賀はこの3人に親しいのは以前紹介した松永だというのだ。そこで小林は承認を得られるように工作をして欲しいと松永にお願いをしたのだが、結果的に二人とも逮捕されることになってしまった。

ところが当時の法律では、贈った方は罪にはならない。松永も小林も自分のことだけ考える人間であるならば、ありのままを白状すれば解放されたことであろう。しかし二人ともそうはしなかった。「どうだ、贈賄しただろう」と係官は攻め立てる。「はい。やりました」と言えば助役たちの罪を確定させることになる。二人が口を割らなかったのはそのためであったが、それが検事を怒らせた。「証拠はあがっているのだ。当人たちは貰いましたと白状している。それをあくまでも、やっておらぬとシラをきるのであれば偽証罪だ。これだと懲役2年だぞ」と脅す。が、二人はそれでも口を割らない。1週間も2週間もたってもカタがつかない。貰った本人が白状してしまっているのにそれでも頑なに口を割らないのである。

結局、松永の兄貴分である福沢桃介(ふくざわとうすけ、実業家、福沢諭吉の婿養子)が東京から飛んできて、小林の親分、岩下清周(いわしたせいしゅう、大物銀行家)とともに「代理自白」ということをやった。「あの二人に、他人を傷つけるようなことを言わせるのは無理ですから、われわれ二人が代わりに自白します。小林と松永がやったにちがいありません。現に会社の帳簿を見ればはっきり分かることです」検察側も弁護側も福沢のいったことを認めるようにと、二人にすすめる。「認めぬとあれば、福沢、岩下を偽証罪で逮捕するぞ」との脅しもついていた。これには松永も小林も参ったようだ。なお、3日間、2人は考えたが、松永は「考えてみても小林としてはいえないことだ。自分が口を割れば、小林は救われるのだ」松永は覚悟を決め福沢の証言書に判を押した。そこでやっと監獄を出され、やがて30分後におくれて小林も解放されて一件落着となった。

文責 田宮 卓

参孝文献

小島直記 「逆境を愛する男たち」 新潮文庫
小島直記 「鬼才縦横 小林一三の生涯中巻」PHP文庫
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  1. 2010/10/09(土) 15:32:46|
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