偉人のエピソード逸話集

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越後正一(伊藤忠商事元)

越後正一(えちご・まさかず)略歴
1901年~1991年(明治34年~平成3年)伊藤忠商事元社長。滋賀県彦根市生まれ。神戸高等商業(現・神戸大学)卒。昭和5年、伊藤忠商事に入社し繊維部門で活躍。昭和35年、59歳で伊藤忠商事第5代社長に就任。脱繊維戦略を推進して伊藤忠商事を総合商社へと育て上げた。昭和49年、会長。昭和57年、勲一等瑞宝章。89歳で没。著書に「私の履歴書」(日本経済新聞連載、昭和50年9月)

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越後正一の知られざる逸話


平成22年6月6日
題名:「真に人物を見抜き長い目で人を育てられるのが経営者の器」



1901年に琵琶湖の湖東で生まれた越後正一という男が15歳になった時、家庭の事情で上級学校進学を泣く泣く諦め、伊藤忠の入社試験を受けることになった。この時の面接官が2代目伊藤忠兵衛で「君は帰らず後でもう一度来たまえ」と忠兵衛に言われ、再面接となり結果合格となった。しかも「八幡商業を卒業してから入社せよ」と好条件を示してくれた。忠兵衛は越後を見所のある男と認め、自分の会社で働いてもらうには商業高校ぐらい出ていなくてはという思いがあったのだろう。忠兵衛、若干30歳の時であったが、父親である初代忠兵衛が亡くなって家督を継いでから10年余事業を営んでいた、どうどうたる実業家であった。

八幡商業の卒業が近づくと、越後は忠兵衛に神戸高商(現神戸大学)への進学を勧められます。ところが越後は神戸高商の受験に落ちてしまい忠兵衛に合わせる顔がない。しかし不合格になったことを忠兵衛に報告すると「ああそうか、今度頑張るんだな」と一言つぶやいただけだった。「さすがは大人物」と越後は思ったという。2度目の受験は見事に合格し、神戸の住吉にあった忠兵衛の本宅に書生として住込みをしながら神戸高商に通った。

卒業の日、越後は晴れて伊藤忠に入社出来ると思っていたが世界恐慌の煽りを受けて伊藤忠は人員整理をしたばかりということがあり、結局同僚の月給の半分の40円という条件での入社となった。しかし越後は忠兵衛の期待にこたえるために懸命に働きます。相場の神様と呼ばれるほどの手腕を発揮し、後に社長にまで登りつめます。14年間社長を務め、その間売上げを10倍にし、伊藤忠を繊維専門商社から総合商社に見事に転換させ、「中興の祖」となります。越後は忠兵衛の期待に見事にこたえる結果となった。

私は忠兵衛の人を見る眼と時間をかけて人を育てようというその度量、器の大きさに敬服します。これこそ経営者の器ではないかと思います。

企業は高学歴の新卒者を競うように採りたがりますが、学歴だけに拘るあまり思わぬ逸材を見逃してはいないか。学歴以外にも忠兵衛のように真に人物を見る眼、学力では測れない他の物差しを持つべきでしょう。そして人が育つには時間がかかります。長い目で人を育てられるかどうかが経営者の器ともいえるでしょう。


 文責 田宮 卓
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  1. 2009/06/06(土) 21:53:21|
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