偉人のエピソード逸話集

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高畑誠一(双日創業者)

高畑誠一(たかはた・せいいち)略歴
1887年~1978年(明治20年~昭和53年)現・双日の創業者。愛媛県生まれ。1909年神戸高商(現神戸大学)卒。鈴木商店に入社。20代後半でロンドン支店長。15年間ロンドン在勤のあと1926年帰国。一年後に鈴木商店倒産で日商設立。この日商が後の日商岩井、現双日となる。本国を介さない三国間貿易を日本人として最初に始めた商社マンとしても知られている。91歳で没。

関連サイト
このブログのトップページ(目次) http://bit.ly/xLH35E
高畑誠一(双日創業者)語録 http://bit.ly/qMzDWZ

高畑誠一(双日創業者)の逸話他
■「失敗を肥やしに」http://bit.ly/zyoCMT






高畑誠一の知られざる逸話

平成22年12月25日
題名:「苦境の時にも志を失わないのが本物の経営者」




「資源のない日本が世界に伍していくためには、工業と貿易の興隆が不可欠。それは日本にとっても海外諸国にとってもメリットがある」―「貿易立国日本」貿易が国を栄えさせるという揺るぎない志、信念を失意のどん底でも持ち続けた商社マンがかつて日本にいた。私は彼ほどかっこいい日本の実業家を知らない。

1909年(明治42年)神戸高商(現神戸大学)を首席で卒業した高畑誠一(たかはたせいいち)は得意の英語を活用出来る貿易商、中でも一流の三井物産への就職を希望したがこの年不景気で三井物産は採用を行っていなかった。結局、神戸高商の水島校長の勧めがあり神戸の新興ベンチャー鈴木商店に就職することになった。水島校長が鈴木商店の大番頭金子直吉と親しかったことがあり鈴木商店への就職を勧めたのであろう。

入社してから高畑は猛烈に働き、得意な英語をさらに磨いて鈴木商店では一番の英語力を身につけるまでになり一目置かれるようになった。25歳の頃、英語力を買われ当時世界の政治、経済、金融、商業の中心地であった英国のロンドン支店に配属される。ここで高畑はメキメキと頭角を現す。

金融、産業などの経済問題はもちろん、国際政治の動き、天候にいたるまで情報収集を活字だけではなく、得意の英語力を活かし、各国大使館の大公使、軍人、モルガン、ロスチャイルド、グレンフェル、その他多くのマーチャントバンカー筋に直接会い第一級の情報を仕入れていく。この実行力は凄い。この情報収集の成果は第一次世界大戦が勃発した時に発揮された。

1914年(大正3年)第一次世界大戦前夜、英国人のほとんどは「欧州で戦争が始まっても、永続きしない」とみていた。しかし高畑は欧州の世論、社会情勢のほか、情報収集を十分にした結果そうはならないとみた。開戦になったら欧州での経済、とりわけ各国の物資の調達はどうなるかといった点も考えて戦争で値上りが予想される食糧や鋼材などの物資を一早く猛烈に買い付けた。買い占めた物資は予想通り暴騰した。その物資をヨーロッパ列強に売り付けたのだ。大英帝国に売込んだ小麦粉は500万袋、満州小麦50万トンというケタ外れの取引を次々に成立させていった。  

この活躍が認められ高畑は29歳の若さでロンドン支店の支店長に就任する。その時にはほとんど無名に近かった鈴木商店は三井物産を抜き売上げ日本一の商社になっていた。

極東の小国である日本の20代の若い商社マンが世界の経済・金融の中心地のロンドンでヨーロッパ列強を相手に大型取引をどんどん成功させていったのだから驚きである。また高畑は本国を介さない三国間貿易を日本人として最初に始めた商社マンとしても知られている。

しかしいいことばかりは続かない。その後、一時は三井、三菱に並ぶほどの勢いのあった鈴木商店であったが1927年(昭和2年)の昭和恐慌の時に投機的経営が仇となり倒産してしまう。高畑40歳の時であった。当時海外の駐在員も含めて本社にざっと一千人ぐらいいたが、そのほとんどの人が、本社の斡旋で鈴木系列の神戸製鋼所、帝国人造絹糸(現帝人)などに移っていった。しかし数十人が再就職をせずに再起を期して頑張っていた。日本国内だけでなく、英国のロンドン、インドのボンベイなどの海外支店にも、これら「再起組」が何人かとどまり、残務処理を進めるかたわらで、取引先に事情を説明して、何らかの形で将来商売が再開できるよう頼みこむなど再出発の時に備えていた。この再起を目指す仲間を代表する形で高畑は新会社の設立の準備にとりかかることになる。

高畑は鈴木商店の子会社であった日本商業 を日商と改め最出発させる。鈴木商店の元従業員を中心にたった40名程でのスタートであった。「貿易が日本を栄えさせる」この志を高畑はこの逆境でも失うことはなかった。そして鈴木商店倒産の悲壮を強く味わっていたことから「スモール・スロウ・バット・ステディ」(ちっぽけで、歩みも遅くても仕方がない。堅実に行こう)をモットーに社員を奮い立たせる。元々仕事に対する情熱という点では世界のどこの商社マンにも引けをとらぬ兵(つわもの)ばかりであった彼らは一致団結し再建をはかり、会社は順調に発展していく。この日商が現代の大手総合商社、日商岩井「現双日(そうじつ)」である。



文責 田宮 卓

参考文献
日本経済新聞社 「私の履歴書 経済人15」日本経済新聞社
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  1. 2010/12/25(土) 10:12:17|
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