偉人のエピソード逸話集

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市村清(リコー創業者)

市村清(いちむら・きよし)略歴
1900年~1968年(明治33~昭和43年)リコー創業者。佐賀県生まれ。中央大学法学部卒。銀行員、保険代理店経営を経て、昭和8年理化学興業入社。昭和11年理研光学(現・リコーの前身)社長。戦後、三愛石油、三愛計器、三愛商事等を設立してリコー・三愛グループを形成した。他方、市村学校と称して若手経営者の指導にあたった。68歳で没。著書に「欧米見聞記」他。

関連サイト
このブログのトップページ(目次) http://bit.ly/xLH35E
市村清(リコー創業者)語録 http://bit.ly/n3lEI1

市村清の知られざる逸話他
■諦めない人が道を開く http://bit.ly/wEOebi
■経営者の器量 http://bit.ly/wk97RQ




市村清の知られざる逸話

平成21年7月5日
題名:「従業員は使用人ではない事業の協力者だ」



終戦直後の1945年、リコーの創業者市村清は「人を愛し、国を愛し、勤めを愛す」という三愛主義を揚げ「三愛商事」を設立した。銀座4丁目の交差点に食糧品店の開業を計画したのだ。

しかしこの土地には皇后様の足袋を御用達している老舗の足袋屋があり、この土地の所有者である老未亡人原田せいは「先祖伝来の土地を売るわけにはいかない」の一点張りで頑なに土地を手離そうとはしなかった。それでも諦めきれない市村は大雪の日、世田谷に住まいしている老未亡人の家に訪ねるが未亡人は市村に会おうともしない。

ところが翌日の午後、浅草の理研本社に老未亡人が一人で訪ねてきた。雪道を歩いて来た老未亡人の足袋はびしょ濡れで、着物の袖には泥水がはねあがっていた。来社した老未亡人の足元をみた女性従業員はすぐさま自分のスリッパを履かせ、抱きかかえるように社長室に連れていった。社長室に入った彼女は今までとは違い、表情が明るかった。「市村さん。実は今日はお断りするつもりで参ったのですが、たったいま階段を上がってくる間に気が変わりました。このような会社に譲るのでしたら先祖も喜ぶでしょう。無条件でお譲りします」と言うのだった。女性従業員の温かい心遣いが老未亡人の心を打ったのだ。この女性従業員の対応がなければ、現在銀座4丁目にそびえる「三愛ビル」はなく市村の事業計画は頓挫していたであろう。

市村は初めて人を使う立場になった時、特別な学歴も人脈もない自分が今後伸びようとすれば従業員が心から協力してくれるかどうかにで決まると考え、子供に対する愛情を持って従業員に接してきたという。その結果が女性従業員の自然と心温まる行動につながったのであろう。まさに従業員は事業の協力者どころか貢献者である。従業員一人一人がこのような気持ちでお客様や取引先と接していれば会社の経営は間違いなく上向くだろうが、経営者が従業員を使用人扱いしていれば決して協力者にはなってくれないであろう。

文責 田宮 卓
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  1. 2009/07/05(日) 16:16:23|
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