偉人のエピソード逸話集

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中上川彦次郎(三井銀行改革者)

中上川彦次郎(なかみがわ・ひこじろう)略歴
1854年~1901年(安政元年~明治34年)三井銀行改革者。豊前国中津(ぶぜんのくになかつ)(現在の大分県中津市)に、藩の勘定役であった才蔵(さいぞう)を父に、同藩士福沢百介(ふくざわももすけ)の娘(福沢諭吉の姉)を母として生まれた。福沢諭吉は叔父にあたる。慶応義塾卒。中津市学校の教員、伊予宇和島の洋学会社の教員を歴任。イギリス留学、官職を経て、時事新報、山陽鉄道各社長。1891年(明治24年) 三井入り。三井財閥の近代化と工業化路線を推進した。業半ばにして47歳で死去。

関連サイト
このブログのトップページ(目次) http://bit.ly/xLH35E
中上川彦次郎(三井銀行改革者)語録 http://bit.ly/yscihM




中上川彦次郎の知られざる秘話

平成22年11月12日
題名:「政治家に媚びない明治の大物実業家」
 




ひと昔前の財界人は政治家に対してもよく物を申したものである。特に財界総理の異名をもつ歴代の経団連会長は第2代会長の石坂泰三(いしざかたいぞう)(第一生命、東芝社長)にしろ、第4代会長の土光敏夫(どこおとしお)(東芝社長)にしろ、相手が総理大臣であろうと、大臣であろうと筋の通らぬ話や、手抜きと思われる言動に対しては一喝することがよくあったという。当時、経済企画庁長官として土光会長と接触していた福田赳夫(ふくだたけお)(後に首相)にいたっては「私は土光さんに怒鳴られっ放しだった。土光さんではなくて怒号さんだ」と言ったほどである。なかなか昨今、政治家に対して一喝するくらいの気魄や度量をもった大物財界人はいないかもしれない。逆に協調性があるといえばそういう見方も出来なくはないかもしれない。どちらがいいかはさておき、さらに昔、官尊民非の風潮が今とは比べものにならないぐらい蔓延(まんえん)していた明治の時代、政治家や政府高官に媚びることで仕事を貰うのが当たりまえであった。そんな時代に政治家に対して媚びないどころか、一喝するなどそんなことは「ナマやさしい」と言わんばかりの型破りな態度をとった大物実業家がいた。その男は三井財閥の改革者、中上川彦次郎(なかみがわひこじろう)である。

1891年(明治24年)、当時日本最大であった三井組と三井銀行は保守退嬰(ほしゅたいえい)化し、経営破綻寸前の状態に追い込まれていた。政治家や政府高官らと癒着しすぎた結果、巨額の不良貸付を発生させ身動きがとれないでいたのだ。三井家の最高顧問であった井上馨(いのうえかおる)はなんとか事態を打開しようと三井の大改革をする人間を探してきた。その男が中上川彦次郎(なかみがわひこじろう)であった。中上川は当時37歳。福沢諭吉の甥で1854年(安政元年)生まれ。慶応義塾に学んだ後ロンドンに留学。帰国後、役人として活躍した後「時事新報」の社長兼編集長として名をあげ、さらに1887年(明治20年)山陽電鉄社長に転じ、近代的経営で経営再建に取り組むという経歴の持ち主であった。

中上川は剛毅そのものの性格で知られていた。井上の推挙の理由が「三井の如き大伽藍(だいがらん)の掃除を出来る男は、中上川をおいていない」というものであった。井上の推挙により三井銀行入りした中上川のその掃除の仕方は徹底していた。「三井の近代化は政府高官らと癒着を断ち切ることから始めねばならない」

まずは陸軍きっての実力者、桂太郎(かつらたろう)(後に首相)、さらに松方正義公爵(後に首相)の実兄などに貸金の返済を要求。回収不能とみるや、なんと邸宅を差し押さえて処分するという強硬策を断行する。また山高帽をかぶったお髭の紳士が三井銀行京都支店に「支店長はおるかね」とやってきた。時の内閣総理大臣伊藤博文の秘書官であった。秘書官は旅費がすこし不足したので5百円ほど用立ててほしいと言ってきた。「さては女好きの伊藤が、祇園(ぎおん)の女にでも使うのだな」と察した支店長は、中上川体制になってからは、こういう類の貸金は一切出来なくなっていたのでまずは担保を要求した。「なに担保だと・・・伊藤閣下の御用命だぞ」「でも規則でございますので」「何が規則だ。これまでそんなことを申した支店長は一人もおらんぞ」「新規則によりまして、このままでは残念ながらお貸しできません」「おのれ、なんたる無礼を」捨て台詞を残して秘書官は立ち去った。こうして三井銀行の経営状態は持ち直していったが、さすがの井上も「たかだか5百円で総理に恥をかかすとは何事か」と怒ったという。 
 
文責 田宮 卓

参考文献
邦光史郎 「起業家列伝」 徳間文庫
邦光史郎 「豪商物語」 徳間文庫
青野豊作 「名言物語 人生の極意、経営の勘どころ」講談社
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  1. 2011/10/11(火) 12:32:08|
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