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偉人のエピソード逸話集

創業者、名経営者、政治家、偉人のエピソード、逸話を大公開!

船場 しぶちん

山崎豊子の『しぶちん』からメモ


■船場は、長堀川、西横堀川、土佐堀川、東横堀川によって、額縁のように取り囲まれた四角地帯で、隣接する街とは、おのおの橋で往来するようになっている

※堂島出身者は船場の外の人といわれる


■聖徳高女は、船場のど真ん中の平野町にある明治10年創立の大阪で一番古い歴史をもつ女学校

※山崎豊子は中央区本町にある旧制相愛高等女学校(現:相愛中学校・高等学校)を卒業している


■このような繁華な商いの街が、船場と云われるのは、仁徳天皇が、難波津(なにわづ)に皇居をもたれた頃、まだこのあたり一帯は、葦の生い茂った砂浜であったようです。そのため、砂場(すなば)、或いは砂場(さば)といわれたのが、後に、その砂(さ)が語源を同じセに転じ、ンの一字が加えられて、いつのまにかセンバと発音されるようになり、ついで船場という字があてられたという説と、単に葦の生い茂った船つき場であったところから、船場といわれたという説と、二説ある


■船場商人にはそう簡単にはなれない。船場の商家はみな、隣の家との間に卯建(うだつ)を建てる。あれは昔からの持家で、昨日や今日の出し店でない標になっている。昔からの暖簾を張っているか、年季を入れて暖簾分けして貰って船場に店を持つか、どっちかでないと船場商人にはなれない

※卯建(うだつ)は塀の上に小さな屋根瓦をつけた仕切塀のこと


■船場では息子はボンボンと呼ばせ、長女は嬢(いと)はん、次女は妹嬢(こい)さんと呼ばせた


■大阪最初の空襲を受けて、船場は一夜にして焼き払われ跡形もなくなり老舗の人々は四散した。そこには伝統も、因襲もない裸一貫の人々が、どやどやと移り住んだ


■14、5歳が丁稚の平均年齢といわれていた


■五代友厚は大阪商人の神様といわれる


■ケチン坊のことを、大阪弁で『しぶちん』という
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  1. 2019/03/24(日) 21:53:24|
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