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偉人のエピソード逸話集

創業者、名経営者、政治家、偉人のエピソード、逸話を大公開!

船場 雑記

■五代友厚の最初の自邸跡は、現在の大阪市西区靱本町(うつぼほんまち)にある「大阪科学技術館」である。昭和35年(1960年)まで残っていたが大阪科学技術センタービルの建設により取り壊され、現在は大阪科学技術館として姿を変えている。新築自邸跡は、現在の大阪市北区中之島にある「日本銀行大阪支店」である


■伏見城の造営や淀川の堤防改修において工事の采配を振り、高い土木工事技術を発揮した。その後、大坂の十三人町(後の大川町、現在の大阪市中央区北浜四丁目)に移り、「淀屋」と称し材木商を営んだ。1609年から1614年に掛けて中之島の開拓を行い、江戸時代から現代まで続く経済の拠点を造った


■淀屋の屋敷は表は北浜に、裏は梶木町(現在の北浜四丁目)に及び、東は心斎橋、西は御堂筋に至るという広大な地域を占めていて、敷地にしておよそ2万坪を所有していたという。そこに百間四方の店を構えていたというから、すごいスケールだ。


■秀吉にもその働きが評価され、当時氾濫の多かった淀川の堤防工事を任さられます


■大坂の材木商で大坂の陣で徳川方本陣の構築などをうけおい特権商人となる。幕府の許可をえて中之島を開拓して移住


■また彼は大坂冬夏の陣で、各所に散乱している死体を片付けて鎧、兜、刀剣、馬具などの処分を任せてもらった。この戦場整理で、彼は巨富をつかんだ


■1697年(元禄10年)、江戸時代の代表的な豪商である淀屋の自宅前、淀屋橋南詰の路上で開かれていた米市が堂島(大江橋北詰)に移され、次第に米取引の場「堂島米市場」へと変貌して行った。1708年(宝永5年)には曽根崎川の北岸に曾根崎新地が誕生し、1730年(享保15年)に堂島米会所が開設される頃には、堂島新地のほとんどの遊里は曾根崎新地へ移転していた。堂島米会所では世界初の近代的な商品先物取引が行われていた


■大阪府立中之島図書館は住友家15代当主により建築、寄贈され、1904年に「大阪図書館」として開館した。戦後、松下幸之助(PHP研究所)が月一度研究発表した


■船場大阪市中央区の商業地域。商社・銀行・問屋などが多く、大阪経済の中心地。豊臣秀吉が大阪城下町経営のため商人を集めて形成。名は運河の船着き場の意から。北を土佐堀川,東を東横堀川,西と南を現在は埋め立てられている西横堀川と長堀川に囲まれ,豊臣秀吉が町屋として開発し堺の商人を集めて以後発展。各種問屋街が集中する大阪経済の一中心。証券街の北浜、薬種問屋街の道修(どしょう)町、繊維問屋街の丼池(どぶいけ)筋がある
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  1. 2019/02/23(土) 21:49:21|
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