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真田丸

真田丸(さなだまる)は、慶長19年(1614年)の大坂の陣(冬の陣)において、豊臣方の真田信繁(幸村)が大坂城の平野口に構築した曲輪である。


構造は東西180メートルほど、半円形の曲輪で、出口は後方と両脇に位置。三方に堀・塀を配し、外側には三重の柵を敷いた。陣図屏風などの絵図では、方型の角馬出しとして描かれる


近年の研究では、真田丸のあった上町台地の東側は地形の起伏が激しく、真田丸自身は本城から孤立していた可能性が指摘されている。真田丸を設けた目的は、あえて孤塁を作って徳川軍をおびき寄せることにあったのでは、との説もある


2016年1月より放送されたNHK大河ドラマ(第55作)。戦国時代に活躍した武将・真田幸村の波乱の生涯を、三谷幸喜の脚本で描いた。タイトルの「真田丸」は、幸村が大坂の陣で築いた砦の名称と、戦国の荒波に立ち向かう真田家を一艘の船(丸)になぞらえて名付けられた。


真田信繁(さなだ・のぶしげ)略歴・経歴(プロフィール)
【1567年~1615年】安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。江戸期に書かれた小説真田十勇士の真田幸村として知られている。勇猛果敢な武将と名高く、関ヶ原の合戦では父の昌幸とともに西軍に参加、上田城に籠城し、2000の兵で徳川秀忠率いる3万8000の軍を撃退した。関ヶ原後も徳川側に組することなく、大坂夏の陣で家康の本陣に突入し討死した。後世に江戸幕府・諸大名家の各史料にその勇将振りが記録され、それらを基に軍記物や講談や小説などが創作されて、真田十勇士を従えて宿敵・徳川家康に果敢に挑む英雄的武将として語られるようになり、庶民にも広く知られる存在となった
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  1. 2016/01/06(水) 23:24:01|
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