偉人のエピソード逸話集

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企業の歴史・沿革

川崎汽船の歴史・沿革


■川崎汽船株式会社(かわさききせん)は、東京都千代田区に本社を置く(登記上の本店は兵庫県神戸市中央区)日本の大手海運会社である

■規模では、日本郵船・商船三井に次いで国内第3位である
(2014年3月末時点で583隻を運航)

■上位2社に比べるとコンテナ船への依存率が高いと言われている。この他、石炭、鉄鉱石などの不定期貨物船、自動車運搬船、LNGタンカー、石油タンカーなどを運航している

■ちなみに、日本で初めて自動車専用船を導入したのは同社である

■設立年月日:1919年(大正8年)4月5日

■初代社長:川崎芳太郎

■1919年4月10日
川崎造船所(現川崎重工業)の船舶部が独立する形で、同社の現物出資によって設立

■1964年
日本海運の集約により飯野汽船を合併、川崎汽船グループの中核会社となる

■1983年
日本籍初のLNG船で当社管理運航の『尾州丸』就航

■2014年
次世代自動車専用船、2隻の追加発注を決定


略歴・経歴(プロフィール)
■川崎芳太郎(かわさき・よしたろう)
【1869年~1920年】明治、大正時代の実業家。旧姓は鬼塚。鹿児島県出身。ニューヨークの商業学校にまなび、帰国後川崎造船所(現川崎重工業)に入社。川崎正蔵(川崎財閥創始者)の養子となり、明治29年副社長に就任。のち神戸川崎銀行頭取。大正6年川崎商船学校(現神戸商船大)を創立した



片倉工業の歴史・沿革


■片倉工業株式会社(かたくらこうぎょう)は、東京都中央区に本社を置くショッピングセンター等の不動産運営・賃貸、自動車部品等の機械製造販売、繊維製品の製造販売を行う企業である


■本社所在地:東京都中央区明石町6-4


■創業:1873年(明治6年)


■会社設立:1920年(大正9年)3月23日


■1873年 繊維で発祥。医薬品、消防車等機械も行う。商業施設の開発・運営、賃貸等不動産が利益の柱である


■明治期から大正期にかけての日本の主力輸出品であった絹糸の製造を行い、片倉財閥を構築した老舗企業である


■かつて操業していた富岡工場(富岡製糸場)は日本の工業近代化の貴重な遺産として知られる(2005年、富岡工場の建物等を地元の富岡市に寄贈)


■1873年
片倉市助、長野県諏訪郡川岸村(現岡谷市)で10人取の座繰(ざぐり)製糸を開始


■1878年
■初代片倉兼太郎が川岸村に洋式器械製糸工場垣外(かいと)製糸場を開設 


■1895年
片倉組を設立


■1920年3月
片倉組を継承する組織として片倉製糸紡績株式会社を設立(片倉工業の創立日)


■1943年
片倉工業株式会社に改称


■2014年
富岡製糸場が世界文化遺産に登録決定



佐藤工業の歴史・沿革


■佐藤工業株式会社(さとうこうぎょう)は、日本の総合建設会社(ゼネコン)である

■北陸発祥の土木の名門ゼネコンで、ピーク時には準大手規模の7000億前後の売上高を誇り、全日本空輸とともに横浜フリューゲルスに共同出資する親会社であった

■土木工事には高い技術力と実績を有し、青函トンネル、黒部ダム、東京湾アクアライン、本州四国連絡橋などの大型国家プロジェクトに数多く携わってきた

■特にトンネル工事に関しては業界トップクラスであり、「トンネルの佐藤」と呼ばれている

■1862年 佐藤助九郎(初代)が越中国柳瀬村(現・砺波市)に於いて「佐藤組」を創業

■1956年 日本初の高級分譲集合住宅、四谷コーポラス竣工

■1959年 黒部ルート冬営工事において日進25.1mのトンネル掘削の日本記録を樹立

■1962年 株式を、東京・大阪・名古屋第1部に上場

■1992年 わが国初の回転式開閉ドーム、「ボールドーム」完成

■1997年 世界初の芝育成のための地温制御システム「ソルコン」を横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)に導入

■2002年3月3日 会社更生法の適用を申請し経営破綻

■2003年3月6日 川田工業・若築建設を支援企業として更生計画案を提出。3月31日、更生計画認可される

■2004年 世界最長の陸上トンネル・八甲田トンネル(市ノ渡工区)が貫通

■2009年9月30日、会社更生手続終結


略歴・経歴(プロフィール)
■佐藤助九郎(さとう・すけくろう)
【1847年~1904年】日本の実業家。総合建設会社(ゼネコン)の佐藤工業株式会社創業者。1500年代の佐藤家の祖佐藤助左衛門から数えて9代目佐藤助九郎の子で、富山県砺波郡柳瀬(現・砺波市)で生まれた



ハイデイ日高の歴史・沿革


■株式会社ハイデイ日高(ハイデイひだか)は、埼玉県さいたま市大宮区に本社を置く外食企業である


■低価格ラーメンチェーンの「日高屋」が主力事業である。全店舗で使用する食材を、機械化され少人数の社員で稼動する行田工場のセントラルキッチンで一元的に製造し、低価格を実現している


■また、メニューも、低価格なだけではなく、飽きの来ないシンプルでスタンダードなものにし、老若男女さまざまな客層が繰り返し来店するようにしている


■創業者:神田正


■設立年月日:昭和53年3月22日


■5坪のラーメン屋から首都圏を中心に約320店舗の一大チェーンへと成長させた


■昭和48年 2月
創業者、神田正によって中華料理「来々軒」をさいたま市大宮区宮町に創業


■昭和50年 3月
「来来軒」大宮南銀座店を開店


■昭和55年 5月
本社をさいたま市大宮区吉敷町に移転


■昭和58年10月
「来来軒」大宮西口店を開店


■平成11年 9月
日本証券業協会に店頭登


■平成14年12月
「日高屋六本木店」を開店。これをもって総店舗数100店舗達成


■平成17年 4月
東京証券取引所市場第2部に上場


■平成18年8月
東京証券取引所市場第1部に指定


■平成24年 2月
FC3店舗を含め、株式公開時の目標であった店舗数300店舗を達成
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  1. 2015/11/08(日) 05:28:30|
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