偉人のエピソード逸話集

創業者、名経営者、政治家、偉人のエピソード、逸話を大公開!

ブログ一覧

■偉人列伝http://ameblo.jp/tamiyataku1/

■名言の王国(人物別名言集)http://meigennooukoku.net/

■テーマ別名言集http://meigennokuni.blog.fc2.com/ 

■家系図http://nihonnokakeizu.net/

■経歴http://keireki7s.net/

■歴史http://rekisi7.blog.fc2.com/

■歴代社長
http://rekidai.blog.fc2.com/blog-entry-59.html

■偉人列伝(目次)http://tamiyataku2.blog.fc2.com/



「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」


「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる」


「成功の秘訣は、いかなる職業であっても、その第一人者たることを期することである」


「礼儀正しい、決して腹を立てない人物は、まさに大人物と呼ぶにふさわしい」


「チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ」


「世の中は言葉で成り立っている。人間性を磨くにはまず基本の言葉を正すこと」

「的確な言葉と、ほぼ的確な言葉には、稲妻と蛍ほどの差がある」 マーク・トウェイン(作家)

「商売は、自分が儲けようという考えが先に立ってはだめです。人に多くの利益を与える者ほど勢力を伸ばし、尊ばれます。人のためにつねに心がける。金の所在(ありか)はここにあります」森村市左衛門(森村財閥創業者)
スポンサーサイト
  1. 2015/03/29(日) 18:32:29|
  2. トップページ(目次)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

蘇我理右衛門

蘇我理右衛門のしられざる逸話


平成27年3 月18日
題名:日本の商人道


「人生はまさにブーメランだ。人に与えたものは手元に返ってくる」
カーネギー(鉄鋼王)


1590年、銅精錬の修行をした蘇我理右衛門(そが・りえもん)という男が、京都寺町五条に「泉屋」として独立した。若干19歳の頃である

当時の日本の銅精錬の技術は未熟で、粗銅に含まれる銀を抜き出すことが出来なかった。そのため輸出をすると、外国商人は大喜びである。日本から銅を買うと銀も含まれているのだから、喜ぶのは当然であった

そこで理右衛門は南蛮人(ヨーロッパ人)に銅と銀の吹き分けが出来る原理を聞いて回り、ついに銅と銀を分ける新技術を習得した。この技術は「南蛮吹き」と呼ばれた

この技術により泉屋は大いに栄え、銅業界での確固たる地位を築く

しかし、この男の凄いところは、この銅と銀とを分ける「南蛮吹き」の技術を同業者に惜しみなく教えたことである

長男の友以(とももち)も父・理右衛門の意志を継ぎ、大坂に進出。父・理右衛門と協力して同業者に「南蛮吹き」の技術を公開した

本来、企業秘密とすべき「南蛮吹き」を同業に公開したら、「泉屋」は商売が成り立たなくなるのではないかと思われるかもしれないが、そうはならなかった

公開することで泉屋は「南蛮吹きの宗家」として尊敬され、同時に大坂は日本の銅精錬業の中心となった

この蘇我理右衛門という人物が、世界最古の財閥、住友財閥の業祖と呼ばれる男で、家祖と呼ばれる義弟の住友政友とともに、住友財閥の創業者とされる

400年以上続く、住友財閥のルーツはここにたどり着く

さらに、住友家4代目の住友友芳(住友中興の祖)は、愛媛県の別子銅山を発見する。この別子銅山が江戸時代、住友家のドル箱となった。1973年に閉山するまでの約300年間、日本屈指の銅山として君臨した

私は、日本の商人道の核となる精神は「共存共栄」にあるのではないかと思う。自分のところだけ儲かればいいとは考えない。

現・アサヒビールの初代社長の山本為三郎は生粋の大阪町人であった。大阪人を知りたければ山本の家にいけば一番正統な大阪が残っていると言われるぐらいであった

そんな山本は生前
「大阪の道修町の街は端から端まで薬屋が並んでいるが食うか食われるかの激しい競争ではなく共存共栄の精神で徹してきたのだと思う。これが本当の大阪商人である」と語っていたという

また大阪商人の商人訓で「近所に同業ができたら誼みを厚くして相励め」というのがある。同業は競争者ではないという精神である。

近江商人の三方よし「売り手よし、買い手よし、世間よし」も共存共栄の精神から来ているのではなかろうか

商売を大きく繁盛させたいと思うならば、まずすることは「自分だけ儲かればいい」「自分だけ生き残ればいい」という考えを捨てることであろう


関連サイト
このブログのトップページ(目次)
http://tamiyataku2.blog.fc2.com/
山本為三郎語録http://bit.ly/zsrz80


蘇我理右衛門(そが・りえもん)略歴・経歴(プロフィール)
安土桃山時代から江戸時代にかけての銅商。住友財閥の業祖と呼ばれ、家祖と呼ばれる義弟の住友政友とともに、創業者の一人に位置づけられる

住友政友(すみとも・まさとも)略歴・経歴(プロフィール)
【1585年~1652年】武士から僧侶となり、そののち還俗して京都で書籍と薬を商う「富士屋」を開き、商家・住友家を興した

山本為三郎(やまもと・ためさぶろう)略歴・経歴(プロフィール)
1893年~1966年(明治26年~昭和41年))実業家。ビール王、ホテル王と呼ばれた。大阪市中央区船場生まれ。明治42年、旧制北野中学校(現、北野高校)在学中、家業早期継承のため父が隠居、家業を継ぐ。昭和24年、朝日麦酒(現・アサヒビール)社長に就任。その後、新大阪ホテル、大阪ロイヤルホテルを設立。昭和30年、東京交響楽団理事長に就任。昭和41年、実業家として現役のまま、72歳で死去

アンドリュー・カーネギー略歴・経歴(プロフィール)
【1835年~1919年】アメリカの鉄鋼王。スコットランド生まれ。一家で移民としてアメリカのピッツバーグに渡るが、父が事業に失敗したため、12歳にして紡績工場の糸巻きの仕事をして、家計を助けた。その後は、ペンシルバニア鉄道で勤務しながら、製鉄事業への投資で才覚を発揮。28歳の頃には年収の20倍近くの金額を投資で稼ぎ、実業界でその名を広く知られるようになる。退社後は、鉄道建設会社や製鉄工場を創設し、アメリカで初めて「ベッセマー製鋼法」を導入。さらにピッツバーグに最新式の製鉄工場エドガー・トムソン工場を完成させ、1899年にはアメリカの鉄鋼生産の4分1を支配した
  1. 2015/03/19(木) 20:35:31|
  2. トップページ(目次)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

世界最古の財閥

住友政友(すみとも・まさとも)略歴
【1585年~1652年】武士から僧侶となり、そののち還俗して京都で書籍と薬を商う「富士屋」を開き、商家・住友家を興した


蘇我理右衛門(そが・りえもん)略歴
安土桃山時代から江戸時代にかけての銅商。住友財閥の業祖と呼ばれ、家祖と呼ばれる義弟の住友政友とともに、創業者の一人に位置づけられる


■住友財閥はロスチャイルド財閥を超える世界最古の財閥と言われており、その歴史は400年以上前にさかのぼる


■住友家には『家祖』と『業祖』と呼ばれる二人の人物がいる


■家祖
住友の歴史は、17世紀の寛永年間(1596~1615)に住友政友(まさとも)が武士(丸岡藩士)から僧侶となり、そののち還俗(げんぞく)して京都に『富士屋』という書物と薬の店を開いたことに始まる。商家・住友家を興したことから住友家の家祖と呼ばれる


■業祖
業祖といわれるのは、住友政友の姉婿にあたる蘇我理右衛門(そがりえもん)で、この人は南蛮人に聞いた粗銅(あらどう)から銀を分離する精錬技術、『南蛮吹き』といわれる銅精練の技術を開発し、天正十八年(1590年)京都に銅吹所を設けた。のちにこの銅吹所が住友家の家業となったので理右衛門を業祖と崇めた


■蘇我理右衛門の長男で政友の娘婿として住友家に入った住友友以(とももち)は、大坂に進出、父理右衛門と協力して同業者に「南蛮吹き」の技術を公開する。これにより住友・泉屋は「南蛮吹きの宗家」として尊敬され、同時に大坂は日本の銅精錬業の中心となった


■江戸時代の日本は、世界有数の銅生産国であり、友以(とももち)は銅貿易をもとに糸、反物、砂糖、薬種などを扱う貿易商になり、さらには分家が両替商も開業し、住友家の泉屋は「大坂に比肩するものなし」と言われるほどに繁盛した


■蘇我理右衛門(そが・りえもん)は住友財閥の業祖と呼ばれ、家祖と呼ばれる義弟の住友政友とともに、創業者の一人に位置づけられる


■1572年、河内国五條(現在の大阪府東大阪市)の蘇我平兵衛の次男に生まれる


■銅精錬・銅細工の修業をし、1590年、京都寺町五条(松原)に「泉屋」として独立する


■当時、わが国の銅吹き技術は未熟で、粗銅に含まれる銀を抜き出せないままに輸出され、外国商人をいたずらに儲けさせていた。理右衛門は、南蛮人(ヨーロッパ人)に鉛を使って銀と銅の吹き分けが出来る原理を聞き、苦心の末、新技術「南蛮吹き」を完成させる。これにより泉屋は大いに栄え、銅業界での確固たる地位も築く。京都東山の方廣寺の大仏(現存せず)や大坂冬の陣の原因とされる「国家安康 君臣豊楽」の銘文のある大梵鐘の銅も、大部分は理右衛門が奉納したと言われている


■住友政友の姉を妻とし、4男2女あったとされる


■次男の忠兵衛は浅井に改姓して二条高倉に移転して泉屋を継いだが、その子の忠右衛門の代に事業が住友家に吸収された
  1. 2015/03/17(火) 23:39:49|
  2. トップページ(目次)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0