偉人のエピソード逸話集

創業者、名経営者、政治家、偉人のエピソード、逸話を大公開!

永遠の0(百田尚樹)

■宮部久蔵(零戦パイロット)家系図・家族・子孫

祖父:徳川幕府の御家人だった
妻:松乃(娘、清子を出産。戦後想像を絶する混乱の中を生き抜く)
娘:清子(慶子と健太郎の母親)
孫:佐伯慶子(フリーライター)
孫:佐伯健太郎(弁護士を志すが、4年続けて司法試験に落ちる)

■昭和16年に結婚するが、結婚生活はわずか4年。しかもその間はほとんど戦地にいたため、実際の結婚生活は1週間たらずであった。娘を授かるが顔を一度も見ることなく戦死する

■実在のモデルなし

※出典『永遠の0』(講談社文庫)著書:百田尚樹

宮部久蔵(みやべ・きゅうぞう)略歴
日本の零戦パイロット。大正8年、東京生まれ。昭和9年、海軍に入隊。操縦練習生となりパイロットになる。昭和12年に支那事変に参加。昭和16年に空母に乗り真珠湾攻撃に参加。その後は、南方の島々を転戦し、昭和20年に内地に戻り、終戦の数日前に神風特別攻撃隊員として南西諸島沖で戦死。享年26


■長谷川梅男(海軍少尉)家系図・家族・子孫

配偶者:妻あり

■埼玉県の農家に、8人兄弟の6番目に生まれる

■戦争で片腕を失い、戦後の人生は苦難の連続であった。それでも世話をしてくれる人がいて、嫁をもらう(正確には入り婿であった)

■実在のモデルはなし

長谷川梅男(はせがわ・うめお)略歴・経歴(プロフィール)
日本の海軍少尉。埼玉県の農家で生まれる。昭和11年に海軍に入る。米軍機グラマンに撃たれ左腕を失った。ラバウル航空隊での戦友だったが、生きることに執着していた宮部久蔵(みやべ・きゅうぞう)を糾弾し、久蔵のことを「海軍一の臆病者」と語る


■伊藤寛次(海軍少尉)家系図・家族・子孫

妻あり:伊藤は戦後に結婚する
息子あり:会社を息子に譲る
孫あり

■宮部とは真珠湾からミッドウェーまで半年以上にわたって同じ戦場で戦った戦友である

■2人とも空母「赤城(あかぎ)」の搭乗員であった

■戦後は会社を経営したり、地元の商工会の幹部になるなど様々な仕事をした

■実在のモデルはなし

※出典『永遠の0』(講談社文庫)著書:百田尚樹

伊藤寛次(いとう・かんじ)略歴・経歴(プロフィール)
海軍中尉。第一航空戦隊赤城時代の戦友。宮部久蔵(みやべ・きゅうぞう)の考え方を肯定はしないが、その空戦技術を高く評価している。ミッドウェー海戦で自分の機が離陸する前に急降下爆撃によって甲板が使用不能になり、駆逐艦のカッターボートで避難。この時、既に久蔵は上空に上がっていたためそこで離れ離れとなった


■美濃部正(海軍少佐)家系図・家族・子孫

実父:愛知県高岡村(現・豊田市)の自作農
養父:美濃部貞功(航空隊や、海上護衛隊の司令を務めた海軍少将)
妻:篤子(美濃部貞功の娘)


■1915年 愛知県高岡村(現・豊田市)で自作農の太田家に6人兄弟の次男として生まれる

■1941年 美濃部貞功の娘・篤子と結婚して婿養子となり、美濃部姓になる

美濃部正(みのべ・ただし)略歴・経歴(プロフィール)
【1915年~1997年】愛知県出身の日本海軍軍人、海兵64期。最終階級は海軍において少佐。戦後はしばらく農業に従事していたが、1953年航空自衛隊に入隊。西空防衛部長、空幕運用課長、統幕学校教育課長、第12飛行教育団司令を歴任し空将で退官。退職後は、日本電装学園長となる。1997年病没
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  1. 2015/02/15(日) 20:56:01|
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