偉人のエピソード逸話集

創業者、名経営者、政治家、偉人のエピソード、逸話を大公開!

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船井哲良

船井哲良(ふない・てつろう)経歴(プロフィール)
船井電機創業者。1927年兵庫県神戸市で生まれる。現・神戸村野工業高等学校卒業。東洋ミシン商会勤務を経て、1951年、船井ミシン商会を創業し、翌年法人組織に改める。1961年、船井電機株式会社を設立。2000年に東証一部に上場。

関連サイト
このブログのトップページ(目次)http://bit.ly/xLH35E
ハリー・トルーマン語録 http://bit.ly/O1oZwb
船井哲良(船井電機創業者)語録 http://bit.ly/15Q8eu4
武藤鍬三郎(東洋ミシン商会創業者)語録 http://bit.ly/15NyGEG




船井哲良(船井電機創業者)の知られざる逸話

平成25年9月15日
題名:「偉人伝を読む価値」



以前、アメリカの歴代の大統領の語録 http://bit.ly/OKsvi9 をまとめたことがある。第33代大統領にハリー・トルーマンという人物がいる。彼は日本に原爆投下を決めた人物であり、どうしても好きになれない大統領ではあるのだが、彼は人が生きていくうえで大切なことをいくつも言葉に遺してくれている。

その一つが偉人伝を読む意義を簡潔に述べていることである。
「偉人たちの伝記を読むと、彼らが最初に勝利する相手は、自分自身であることがわかる。もっとも大切なのは、自己鍛錬をおいて他にはない」ハリー・トルーマン

トルーマンは農家の家に生まれ、高校卒の学歴で大統領になった人物である。大学にはいかなかったが、きっと幼少の頃から偉人伝を読みふけり、そこから学んだことを糧に奮闘努力して大統領にまで昇り詰めたということが想像できる。

日本にもこんな人物がいる。戦前の話である。小学校4年生頃から、古本の戦国武将伝に熱中し、時には授業中も教科書の内側に武将伝を挟んだままこっそりと読みふけるほどだったという。

彼はその時のことをこのように振り返る
「古本に生き生きと描かれた、戦国時代の武将の生き方を通じて、人間の生き方や、英雄のリーダーシップのあり方を学んでいた。まるで自分の物語のように、血湧き肉踊らせて血肉とした」

「私は学校の勉強には熱心ではなかった。学校の教科書のかわりに、戦国武将伝が『生きた教科書』となった」

そして旧制中学に入学すると、読書の対象は、戦国武将伝から古今東西の起業家の立志伝へと変化していったという。

彼が武将伝や経営者の伝記から学んだことの一つが皆、裸一貫で勝負していること。「自分も同じように勝負したい」と思うようになったという。武将伝や経営者の立志伝を読んでいるうちに、いつしか『夢』『志』が膨らんでいったと語る。

そして、日本は広島と長崎に原爆を投下され、昭和20年8月15日に終戦をむかえた。

この人物はこの時18歳。「敗戦で、日本は焦土と化している。しかし、自分のためにも、日本のためにも、このまま負けるものか。ゼロから商売を立ち上げてやる」という激しい闘志がみなぎってきたという。そして「40歳で5つの会社の社長になる。今に見ておれ」と18歳の時にこう決意する。彼は、最初は当時日本最大のミシン卸問屋だった東洋ミシンで修業をした後、24歳で独立をする。この人物は船井電機(2000年に東証一部上場)の創業者、船井哲良(ふない・てつろう) である。

船井は敗戦で焦土化し日本中が意気消沈していたが、武将伝や経営者の立志伝を読みふけっていたお陰でかえってファイトが湧いたという。

そして船井は「読書が夢をはぐくむ」と語る。人は生まれた環境に関係なく読書によって『夢』『志』を育むことが出来る。偉人伝はその補助としては最たる書物の一つといえよう。
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  1. 2013/09/15(日) 21:31:48|
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勝海舟と西郷隆盛(江戸城無血開城)

関連サイト
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勝海舟語録 http://bit.ly/wb97TV
西郷隆盛語録 http://bit.ly/ynvFbj
セオドア・ルーズベルト語録 http://bit.ly/NF4Bo9



平成25年9月1日
題名:「非武装中立で国の安全は守れるのか]
    (勝海舟と西郷隆盛の江戸城無血開城)



「棍棒(こんぼう)政策」「棍棒外交」という言葉をご存じだろうか? この言葉は西アフリカの「大きな棍棒(こんぼう)を携え、穏やかに話せば、成功するだろう」ということわざから生まれたとされる。実際にこの西アフリカのことわざを好んで使い、巨大な軍事力を背景に自らの外交政策を相手に強要していった政治家にアメリカの第26代大統領・セオドア・ルーズベルトがいる。

私は国を守るための外交交渉の要諦はこの西アフリカのことわざに凝縮されているように思う。

わが国の日本では1868年、勝海舟と西郷隆盛が話し合いによって江戸城無血開城が決まり、ほとんど血が流れることなく革命的な政権移譲がなされたことがある。 

勝が晩年に語った言葉を集めた『永川清話(ひかわせいわ)』の中でその時の西郷のことをこのように回想している。

「おれがことに感心したのは、西郷がおれに対して、幕府の重臣たるだけの敬礼を失わず、談判のときにも、始終座(ざ)を正して手を膝(ひざ)の上にのせ、少しも戦勝の威光でもって敗軍の将を軽べつするというようなふうがみえなかったことだ。その胆量の大きいことは、いわゆる天空海闊(かいかつ)で、見識ぶるなどということは、もとより少しもなかった」

西郷は勝に敬意を表し、勝は西郷の人物、度量を認めた。だから武力衝突することなく話し合いで平和的な解決が出来たように見えるがそうではない。二人が話し合いをしていた薩摩屋敷の近くには倒幕軍の兵隊が押し寄せ、形勢は西郷ら官軍が圧倒的に有利な状況にあった。つまり西郷は西アフリカのことわざでいう棍棒を携えて交渉にあたっていたのであり、棍棒を持たずに交渉をしていたら江戸城無血開城が成しえたかどうかは大いに疑問の残るところである。

世界史の中で明治維新はほとんど血を流さずに政権移譲がなされた希有な例とされるが、棍棒を持っていたからこそ平和的な話し合いが出来たことを忘れてはならないだろう。

最近、テレビでの討論番組で安全保障の議論が頻繁に行われている。いまだに日本は非武装中立になって、外交努力で平和的に外交問題を解決していくべきだと論じる政党や専門家がいる。はたして棍棒を持たずに丸裸で平和的な外交交渉などというものが本当に出来るのかどうか、過去の歴史から学び考えてみるべきだろう。
  1. 2013/09/01(日) 20:51:38|
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