偉人のエピソード逸話集

創業者、名経営者、政治家、偉人のエピソード、逸話を大公開!

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潮田健次郎

潮田健次郎(うしおだ・けんじろう)略歴
1926年~2011年(大正15年~平成23年) 現・住生活グループ(トステム、トーヨーサッシ)創業者。東京都生まれ。小学6年生の時、結核でサナトリウムにはいり、小学校を形だけしか卒業できなかったが、つねに独学で道を切りひらいてきた。日本生産性本部や日本能率協会などのセミナーを次々と受講し財務分析、生産管理、事務管理や国際政治などを学び、2年間アルミサッシの研究開発をつづけ1966年4月に宅用アルミサッシ業界に参入する。その後、独創的な新製品を次々と開発する一方、直営店網の拡充で売上を伸ばし、同社を業界トップに躍進させた。84歳で没。

このブログのトップページ(目次) http://bit.ly/xLH35E
潮田健次郎語録 http://bit.ly/HkK4xx




潮田健次郎の知られざる逸話

平成24年3月28日
題名:「商いの厳しさ」



「命まで取られへん、だめならやり直せばいい」
鬼塚喜八郎(アシックス創業者)

私の創業者の名語録でとても好きな語録の一つが鬼塚会長のこのシンプルな言葉である。先日、この鬼塚語録 http://bit.ly/GXSIV0 の記事を見た人からコメントを頂いた。

鬼塚会長に生前、ランチェスター協会の会合で偶然隣の席になったので、その縁で名刺交換をしてそのお礼に葉書を送ったら、その後、なんと鬼塚会長から韓国から立派な封書手書きの励ましのメッセージを頂いた、という内容のものであった。この方はこの封書を今でも宝物として節目節目に読み返しているという。

私のように創業者の秘話やエピソードを書いているものにとって、このように実体験談を教えてくれることほど、有り難くまた興味深いことはない。

この鬼塚会長のエピソードを拝見し、やはり創業者は違うなと感じた。どんなビジネス本にも「礼状を書くこと」というのはビジネスの基本として教えているが、恐らくそれを長年、実践し続ける人は僅かであろう。

鬼塚会長がわざわざ手書きで礼状を出すのは、礼儀であったり、人のご縁を大切にする気持であったり、また何時お客様になってくれるかもしれない、といった色々な思いがあってのことだと思うが、恐らくずっとこのような謙虚な姿勢で鬼塚会長が日々、人と接してきたからこそ、今日のアシックスがあるのだと思う。逆にいうと、「返事なんて書いている暇あるか」といったような僅かでも驕った気持ちや、人を粗末にする気持が出ると商売が立ち行かなくなることを示唆しているようで、同時に商売の厳しさというものも感じる話である。

また、以前、私の父親が住宅設備最大手の現・住生活グループ(トステム、トーヨーサッシ)の創業者、潮田健次郎(うしおだ・けんじろう)から直筆の手紙をもらったことがあった。

1993年頃、バブルが弾けて会社員であった父は54歳の時にリストラにあった。今では業績が悪くなれば人員削減するのは当たり前のことではあるが、当時リストラは大変な社会問題であった。父をリストラした会社で自殺者が出たり、そのことでリストラのスペシャル番組が組まれテレビで放映されたりしていた。

54歳という年齢で転職先を探すことは容易ではない。職務経歴書を人事部に送ってもまず年齢で切られることは目に見えている。そこで父がとった行動が、紳士録などで社長の自宅を調べ、職務経歴書を直接社長の自宅に「速達」「親展」「書留」で郵送することであった。海外出張などで不在の場合は仕方ないとしても、かなりの確率で社長本人に職務経歴書を見てもらえると踏んだのだ。

そして郵送先の一つが住生活グループの潮田社長宅であったが、潮田社長からはなんと丁寧な直筆の手紙が届いた。内容は、まずご丁寧なお手紙を有難うございますというお礼から始まり、今会社の状況が○×△なので採用はしておらず、大変申し訳ないがご期待に添うことは出来ないが、良いお仕事に就けますことをお祈り申し上げる、といった、これまた大変丁寧なものであった。

やはりここが創業者の凄いところだと思う。こっちから一方的に送った手紙(職務経歴書)である。本来返事などする必要もなければ、仮に返事をするとしても人事部か秘書にさせればいいことである。

このような話は2代目、3代目の社長にはあまり聞かない。一方的な手紙であっても、直筆で手紙を返すところに創業者の凄さ、商売の厳しさというものを私は感じる。

ちなみに父は結局アミューズメント業界のセガに転職が決まった。当時の中山隼雄社長の自宅に送った職務経歴書を中山社長が人事部に「面接して良かったら採ってみろ」と廻してくれたのだ。面接を受け部長というポジションで見事採用となったのだが、驚くことにこのポジションの募集年齢は40歳までであった。54歳の父は普通に人事部に職務経歴書を送っていたら100%書類選考で落とされ面接すらしてもらえてなかったであろう。
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  1. 2012/03/28(水) 21:41:16|
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鬼塚喜八郎

鬼塚喜八郎(おにつか・きはちろう)略歴
1918年~2007年(大正7年~平成19年)アシックス創業者。鳥取県気高郡明治村(現・鳥取市松上)生まれ。旧制鳥取一中(現・鳥取西校)卒。昭和24年、鬼塚商会創業。昭和52年、ジィティオ、ジェレンクと合併してアシックスを設立して社長に就任。東証一部。89歳で没。

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鬼塚喜八郎(アシックス創業者)語録 http://bit.ly/GXSIV0




鬼塚喜八郎の知られざる逸話


平成24年3月28日
題名:「商いの厳しさ」



「命まで取られへん、だめならやり直せばいい」
鬼塚喜八郎(アシックス創業者)

私の創業者の名語録でとても好きな語録の一つが鬼塚会長のこのシンプルな言葉である。先日、この鬼塚語録 http://bit.ly/GXSIV0 の記事を見た人からコメントを頂いた。

鬼塚会長に生前、ランチェスター協会の会合で偶然隣の席になったので、その縁で名刺交換をしてそのお礼に葉書を送ったら、その後、なんと鬼塚会長から韓国から立派な封書手書きの励ましのメッセージを頂いた、という内容のものであった。この方はこの封書を今でも宝物として節目節目に読み返しているという。

私のように創業者の秘話やエピソードを書いているものにとって、このように実体験談を教えてくれることほど、有り難くまた興味深いことはない。

この鬼塚会長のエピソードを拝見し、やはり創業者は違うなと感じた。どんなビジネス本にも「礼状を書くこと」というのはビジネスの基本として教えているが、恐らくそれを長年、実践し続ける人は僅かであろう。

鬼塚会長がわざわざ手書きで礼状を出すのは、礼儀であったり、人のご縁を大切にする気持であったり、また何時お客様になってくれるかもしれない、といった色々な思いがあってのことだと思うが、恐らくずっとこのような謙虚な姿勢で鬼塚会長が日々、人と接してきたからこそ、今日のアシックスがあるのだと思う。逆にいうと、「返事なんて書いている暇あるか」といったような僅かでも驕った気持ちや、人を粗末にする気持が出ると商売が立ち行かなくなることを示唆しているようで、同時に商売の厳しさというものも感じる話である。

また、以前、私の父親が住宅設備最大手の現・住生活グループ(トステム、トーヨーサッシ)の創業者、潮田健次郎(うしおだ・けんじろう)から直筆の手紙をもらったことがあった。

1993年頃、バブルが弾けて会社員であった父は54歳の時にリストラにあった。今では業績が悪くなれば人員削減するのは当たり前のことではあるが、当時リストラは大変な社会問題であった。父をリストラした会社で自殺者が出たり、そのことでリストラのスペシャル番組が組まれテレビで放映されたりしていた。

54歳という年齢で転職先を探すことは容易ではない。職務経歴書を人事部に送ってもまず年齢で切られることは目に見えている。そこで父がとった行動が、紳士録などで社長の自宅を調べ、職務経歴書を直接社長の自宅に「速達」「親展」「書留」で郵送することであった。海外出張などで不在の場合は仕方ないとしても、かなりの確率で社長本人に職務経歴書を見てもらえると踏んだのだ。

そして郵送先の一つが住生活グループの潮田社長宅であったが、潮田社長からはなんと丁寧な直筆の手紙が届いた。内容は、まずご丁寧なお手紙を有難うございますというお礼から始まり、今会社の状況が○×△なので採用はしておらず、大変申し訳ないがご期待に添うことは出来ないが、良いお仕事に就けますことをお祈り申し上げる、といった、これまた大変丁寧なものであった。

やはりここが創業者の凄いところだと思う。こっちから一方的に送った手紙(職務経歴書)である。本来返事などする必要もなければ、仮に返事をするとしても人事部か秘書にさせればいいことである。

このような話は2代目、3代目の社長にはあまり聞かない。一方的な手紙であっても、直筆で手紙を返すところに創業者の凄さ、商売の厳しさというものを私は感じる。

ちなみに父は結局アミューズメント業界のセガに転職が決まった。当時の中山隼雄社長の自宅に送った職務経歴書を中山社長が人事部に「面接して良かったら採ってみろ」と廻してくれたのだ。面接を受け部長というポジションで見事採用となったのだが、驚くことにこのポジションの募集年齢は40歳までであった。54歳の父は普通に人事部に職務経歴書を送っていたら100%書類選考で落とされ面接すらしてもらえてなかったであろう。
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主要参考文献一覧

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このブログの主要参考文献一覧




青木仁志 「ビジネス・セラピー」PHP研究所
青野豊作 「名言物語 人生の極意、経営の勘どころ」講談社
浅川博忠 「仕事師と呼ばれた男 橋本龍太郎」 東洋経済
浅川博忠 「電力会社を九つに割った男 民営化の鬼、松永安左ヱ門」 講談社文庫
浅川博忠 「小説角栄学校」 講談社文庫
浅川博忠 「自民党幹事長」 講談社文庫
浅川博忠 「戦後政財界三国志」 講談社文庫
浅川博忠 「小説角福戦争」 講談社文庫
安部能成 「岩波茂雄傳」岩波書店
有森 隆 「創業家の物語」 講談社
安藤百福 「食欲礼賛」 PHP
安藤百福 「苦境からの脱出」 フーディアム・コミュニケーション

イオンの基本「岡田卓也の十章」商業界
池田政次郎 「経営者の器 あの人あの言葉」東洋経済
市村茂人 「企業の神様」市村茂人 中経出版
伊藤 肇 「現代の帝王学」 PHP文庫 
伊藤 肇 「瀬戸際で問われる経営者の倫理」ごま書房
伊藤 肇 「社長の決断」 徳間文庫
伊藤雅俊 「商いの道」PHP研究所
伊藤雅俊 「商いの心くばり」 講談社文庫
伊藤雄一郎 「菅直人の第一歩」 KKベストセラーズ
井上太郎 「大原聡一郎」 中公文庫
猪瀬直樹 「土地の神話」 新潮文庫
居林次雄 「財界総理側近録」 新潮社
井深 大 「わが友本田宗一郎」 ごま書房
井深大研究会 「井深 大語録」 小学館文庫
岩井雄二郎「大阪商人の哲学」 東京布井出版
岩波茂雄 「岩波遺文抄」株式会社日本図書センター
岩見隆夫 「田中角栄 政治の天才」 人物文庫 学陽書房
岩見隆夫 「政治家に必要なのは、言葉と想像力と、ほんの少しのお金」毎日新聞社

植田正也 「電通鬼十則」 PHP文庫
宇田川 勝 「日本の企業家史」 文眞堂
宇田川 勝 「日本の企業家群像」文眞堂
宇治野憲治 「人生を豊かにする100の名言」コスミック文庫
内橋克人 「破天荒企業人列伝」 新潮文庫
内橋克人 「退き際の研究」 講談社文庫
内村鑑三 「代表的日本人」岩波文庫

江口克彦 「人生と経営この素晴らしきもの」PHP
江口克彦 「きっと芽が出る人の法則」PHP文庫
江口克彦 「成功の知恵」 PHP文庫
江口克彦 「経営者の教科書」 PHP
江戸英雄 「私の三井昭和史」東洋経済
江波戸哲夫 「社長の決断 その裏側」 講談社文庫
江波戸哲夫 「名社長 決断の極意」 講談社

大下英治 「実録田中角栄と鉄の軍団上中下」講談社+α文庫
大下英治 「梟商 小佐野賢治の昭和戦国史」 講談社文庫
大下英治 「小説電通」 徳間書店 
大下英治 「新聞の鬼たち 小説務台光雄」 光文社文庫
大下英治 「起業家・江副浩正の野望」 光文社文庫
大野誠治 「人間 平岩外四の魅力」中経出版
岡崎久彦・渡部昇一「尊敬される国民 品格ある国家」 ワック
岡崎久彦 「どこで日本人の歴史観は歪んだのか」 海竜社
岡崎久彦 「百年の遺産 日本近代外交史73話」 産経新聞社
岡崎久彦 「陸奥宗光」上下 PHP文庫  
岡崎久彦 「小村寿太郎とその時代」PHP文庫
岡崎久彦 「幣原喜重郎とその時代」PHP文庫
岡崎久彦 「重光・東郷とその時代」PHP文庫
岡崎久彦 「吉田茂とその時代」PHP文庫
奥田碩/安藤忠雄共著「日本再生への道」NHK出版
奥村 宏 「日本の六大企業集団」 朝日文庫

加来耕三 「日本創業者列伝」 人物文庫 学陽書房
加来耕三 「日本経営者列伝」 人物文庫 学陽書房
加来耕三 「成せば、成」 一二三書房
梶山季之 「実力経営者伝」徳間書店
梶原一明 「石坂泰三 ぼくは仕事以外の無理は一切しない」 三笠書房
梶原一明 「決断の経営史」 経済界
桂 芳男 「幻の総合商社鈴木商店」 現代教養文庫
上之郷利昭 「堤 義明の人を活かす!」 三笠書房
上之郷利昭 「人を動かす名言」 祥伝社
上之郷利昭 「西武王国」 講談社文庫
上之郷利昭 「本田宗一郎の3分間スピーチ」 光文社
片山 修 「本田宗一郎からの手紙」PHP
ドロシー・カーネギー編「カーネギー名言集」創元社

北尾吉孝 「逆境を生き抜く名経営者、先哲の箴言」朝日新書
北 康利 「白洲次郎 占領を背負った男上」 講談社文庫

邦光史郎 「小説 トヨタ王国上下」 集英社文庫
邦光史郎 「三菱王国上下」 集英社文庫
邦光史郎 「三井王国上下」 集英社文庫
邦光史郎 「小説小林一三 日日これ夢」集英社文庫
邦光史郎 「やってみなはれ」集英社文庫
邦光史郎 「野村證券王国」 徳間文庫
邦光史郎 「小説ダイエー王国」 徳間文庫
邦光史郎 「豪商物語」 徳間文庫
邦光史郎 「起業家列伝」 徳間文庫
邦光史郎 「豪商 家訓名言集」 徳間文庫


郷 仙太郎 「小説 後藤新平」 人物文庫 学陽書房
高坂正堯 「不思議の日米関係史」PHP 
小堺昭三 「明治の怪物経営者たち」人物文庫 学陽書房
小堺昭三 「人望 この人間的魅力を見よ!」三笠書房
小島直記 「逆境を愛する男たち」 新潮文庫
小島直記 「スキな人キライな奴」 新潮文庫
小島直記 「まかり通る上下」   新潮文庫
小島直記 「鮎川義介伝」 ケイエイ
小島直記 「人間・出会いの研究」 新潮文庫
小島直記 「野村王国を築いた男」 集英社文庫
小島直記 「出生を急がぬ男たち」 新潮社文庫
小島直記 「回り道を選んだ男たち」 新潮社文庫
小島直記 「創業者・石橋正二郎」 新潮社文庫
小島直記 「鬼才縦横 小林一三の生涯上中下」PHP文庫
小島直記 「三井物産初代社長」 中公文庫
小島直記 「伝記に学ぶ人間学」竹井出版
後藤田正晴「政と官」講談社
コナン・ドイル 「緋色の研究」 創元推理文庫
小林 勇 「櫟荘主人」 岩波書店
小林一三 「私の行き方」 PHP文庫
小林吉弥 「田中角栄経済学」 講談社+α文庫
小林吉弥 「究極の人間洞察力」 講談社
小林吉弥 「田中角栄の3分間スピーチ」 光文社
小林吉弥 「人間田中角栄」 光文社文庫
小林吉弥 「高橋是清と田中角栄 経済危機編」 光文社
小林吉弥 「高橋是清と田中角栄 不況脱出編」 光文社
小林吉弥 「盛田昭夫の国際感覚を盗め」 光文社
小林吉弥 「田中角栄の才覚 松下幸之助の知恵」 光文社
小林吉弥 「田中角栄の人を動かす」極意 光文社
小林吉弥 「総理になれなかった男たち」経済界
小林吉弥 「総裁実録 橋本龍太郎」徳間書店
小宮和行 「トヨタ経営語録」 PHP文庫
東風英太郎 「創業社長は哲学者! 東邦薬品松谷義範の生涯」 新風舎

財界人同人誌【ほおづえ】編集部 「財界人が語る 私の戦後五十年」
堺屋太一 「日本を創った12人前後編」 PHP新書
堺屋太一 「次はこうなる」 講談社
堺屋太一 「大激震」 実業之日本社
坂口 力 「タケノコ医者―差別なき医療をめざしてー」 光文社
咲村 観 「小説小林一三 上下」 講談社文庫 
佐治敬三 「へんこつなんこつ 私の履歴書」 日経ビジネス人文庫
佐高 信 「福沢諭吉伝説」 角川学芸出版
佐高 信 「弧高を恐れず 石橋湛山の志」 講談社文庫
佐高 信 「逃げない経営者たち 日本のエクセレントリーダー30人」 講談社文庫
佐高 信 「銀行倒産 ドキュメント金融恐慌」 講談社文庫
佐高 信 「ビジネスマン一日一話」 徳間文庫
佐々淳行 「わが上司後藤田正晴」 文春文庫
佐藤正忠 「好きなことをやれ!」経済界
佐藤正忠 「わが戦後財界秘史①身命、果てるとも」経済界
佐藤正忠 「佐藤正忠の経営辻説法」 経済界 
佐藤正忠 「三鬼陽之助」 経済界
佐藤正忠 「65歳からが面白い」 経済界
佐藤正忠 「蘇る秘訣」 経済界
佐藤悌二郎 「経営の知恵 トップの戦略」 PHP文庫
ザ・リバティ編集部 「一流の決断」 幸福の科学出版

シェイクスピア 「ジュリアス・シーザー」岩波文庫
司馬遼太郎「この国のかたち」文春文庫 一~四
司馬遼太郎「明治という国家上下」NHKブックス
島崎藤村 「東方の門・巡禮」 新潮社出版
島崎藤村 「夜明け前 第一部(上)」 新潮文庫
島野盛郎 「食を創造した男たち」ダイヤモンド社
清水信次 「闘魂人生必勝の道」 経済界
志村嘉一郎「土光敏夫21世紀の遺産」
春光グループの歴史 非売品
白石一郎 「異人館上下」 朝日文庫
白洲次郎 「プリンシプルのない日本」 新潮文庫
白洲正子 「白洲雅子自伝」 新潮文庫
城山三郎 「男の生き方40選上」文春文庫
城山三郎 「静かなタフネス」文春文庫
城山三郎 「一歩の距離」 文春文庫
城山三郎 「男子の本懐」 新潮文庫
城山三郎 「もう、きみには頼まないー石坂泰三の世界」 文春文庫
城山三郎 「わしの眼は十年先が見える」 新潮文庫
城山三郎 「鼠 鈴木商店焼打ち事件」 文春文庫
城山三郎 「男たちの経営」 角川文庫
城山三郎 「価格破壊」 角川文庫
城山三郎 「打たれ強く生きる」 新潮文庫
城山三郎 「勇気堂々 上下」 新潮文庫 
城山三郎 「午前八時の男たち」 光文社文庫
城山三郎 「野生のひとびと」 文春文庫
城山三郎 「サラリーマンの一生 対談」 角川文庫
城山三郎 「ビジネス・エリートの条件」 講談社文庫
城山三郎 「人生に二度読む本」 講談社文庫 平岩外四 共著
城山三郎 「逆境を生きる」新潮社
城山三郎 「本田宗一郎の100時間」 講談社文庫
城山三郎訳「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」新潮社キングスレイ・ウォード
城山三郎 「対談集『気骨』について」新潮文庫
城山三郎 「嬉しうて、そして・・・」文春文庫
神 一行 「閨閥」 角川文庫
ジーン・中園 「藤田田の頭の中」日本実業出版社
神鋼タイムス 「故・田宮相談役追悼号」 ㈱神戸製鋼所 教育課 
新人物往来社 「日本史有名人の苦節時代」 新人物文庫

杉森久英 「風雲を呼ぶ男」 時事通信社
砂川幸雄 「大倉喜八郎の豪快なる生涯」 草思社

世界の伝記「漫画学習 二宮金次郎」集英社

相馬愛蔵「一商人として」岩波書店

大正製薬㈱ 「上原正吉と大正製薬」
高杉 良 「小説 日本興業銀行第一~五部」 講談社文庫
瀧澤 中 「日本人の心を動かした政治家の名セリフ」 青春出版社
武田國男 「落ちこぼれタケダを変える」 日本経済新聞社
立石泰則 「淋しきカリスマ 堤義明」 講談社
田中勝博 「竹田和平の強運学」 東洋経済
田中康夫 「神戸震災日記」 新潮文庫
谷沢永一 「危機を好機にかえた名経営者の言葉」 PHP
田原聡一朗 「勝つ経営 宮内義彦」PHP
田原聡一朗 「総理を操った男たち 戦後財界戦国史」 講談社文庫 
田原聡一朗 「僕はこうやってきた」 中経出版
田原聡一朗 「田原聡一郎の聞き出す力」 カナリア書房
田原聡一朗 「面白い奴ほど仕事人間」青春出版社
玉岡かおる 「お家さん 上下」 新潮社
田宮記念事業会編・刊 「田宮嘉右衛門伝」 
田村 明  「都市ヨコハマ物語」 時事通信社


綱淵昭三 「東レ前田勝之助の原点」 実業之日本社
辻井 喬 「父の肖像上下」 新潮文庫
土屋雅春 「医者のみた福沢諭吉」 中公新書
鶴蒔靖夫 「医薬分業への道」 IN通信社
辻本嘉明 「馘首はならぬ仕事をつくれ」叢文社

D・カーネギー 「人を動かす」 創元社
D・カーネギー 「人生のヒント」 三笠書房
寺林 峻 「吉田 茂 怒涛の人」 人物文庫 学陽書房

童門冬二 「渋沢栄一 人間の礎」 人物文庫 学陽書房
童門冬二 「小説二宮金次郎」 人物文庫 学陽書房
童門冬二 「日本の復興者たち」 講談社文庫
童門冬二 「大江戸豪商伝」 徳間文庫
戸川猪佐武「小説 吉田学校一~七部」 人物文庫 学陽書房
豊田英二研究会 「豊田英二語録」 小学館文庫
鳥羽博道 「想うことが思うようになる努力」 プレジデント社

仲 衛 「羽田 孜という男」 東洋経済新報社
中江克己 「明日を創った企業家の言葉」太陽企画出版
中曽根康弘 竹村健一「命の限り蝉しぐれ」徳間書店
中村克己 「ツムラ革新しつづける老舗の挑戦」 こう書房
中曽根康弘「自省録」新潮社
中曽根康弘「日本の総理学」PHP新書
南淵明宏 「医者の涙、患者の涙」 新潮文庫
中谷彰宏 「長谷川慶太郎 情報王」 ビジネス社
永守重信 「奇跡の人材育成法」PHP 

日本経済新聞社 「20世紀 日本の経済人」 日経ビジネス文庫
日本経済新聞社 「20世紀 日本の経済人Ⅱ」 日経ビジネス文庫
日本経済新聞社 「私の履歴書 経済人1」日本経済新聞社
日本経済新聞社 「私の履歴書 経済人2」日本経済新聞社
日本経済新聞社 「私の履歴書 経済人3」日本経済新聞社
日本経済新聞社 「私の履歴書 経済人5」日本経済新聞社
日本経済新聞社 「私の履歴書 経済人6」日本経済新聞社
日本経済新聞社 「私の履歴書 経済人12」日本経済新聞社
日本経済新聞社 「私の履歴書 経済人15」日本経済新聞社
日本経済新聞社 「私の履歴書 経済人16」日本経済新聞社
日本経済新聞社 「私の履歴書 経済人17」日本経済新聞社
日本経済新聞社 「私の履歴書 昭和の経営者群像5」日本経済新聞社
日本経済新聞社 「私の履歴書 12」日本経済新聞社
日本経済新聞社 「経済人の名言・上下」 堺屋太一 監修
日本取締役協会 「明治に学ぶ企業倫理」 生産性出版



野口 實  「よくわかる医薬品業界」 日本実業出版社
野口悠紀雄 「1940年体制」 東洋経済

長谷川慶太郎 「情報力」 サンマーク出版
長谷川慶太郎 「日本は環境力で勝つ」 東洋経済
長谷川慶太郎 「大局を読む2006」ビジネス社ハ
橋本龍太郎「VISION of JAPAN」 KKベストセラーズ
馬場啓一 「白洲次郎の生き方」 講談社文庫
早川茂三 「オヤジとわたし」 集英社文庫
林原 健 「独創を貫く経営」日本経済済新聞社
ハロルド・ニコルソン 「外交」 東京大学出版社
ハンク・マッキンネル 「ファイザーCEOが語る 未来との約束」 ダイヤモンド社
半村 良 「高層街」 集英社文庫

PHP研究所【編】「常に時流に先んずべし トヨタ経営語録」 PHP文
PHP研究所【編】「本田宗一郎 一日一話」 PHP文庫
PHP総合研究所【編】「松下幸之助発想の軌跡」 PHP文庫
PHP総合研究所【編】「松下幸之助若き社会人に贈ることば」 PHP文庫
ビジネス哲学研究会【編著】 「心に響く名経営者の言葉 決断力と先見力を高める」PHP
ビジネス哲学研究会【編著】 「心を強くする指導者の言葉 逆境に克!」PHP
樋口廣太郎 「つきあい好きが道を開く」日本経済新聞社
樋口廣太郎 「チャンスは貯金できない!」 三笠書房
樋口廣太郎 「もう5センチ頭を下げて」 財界
樋口廣太郎 「挑めばチャンス 逃げればピンチ」PHP文庫
日野原重明 「道をてらす光」 春秋社
日野原重明 「生き方哲学」中央法規
広瀬 隆 「持丸長者 幕末・維新編」 ダイヤモンド社
広瀬 隆 「持丸長者 国家・狂乱編」 ダイヤモンド社
広瀬 隆 「持丸長者 戦後復興編」 ダイヤモンド社
広瀬仁紀 「マネー王国・野村證券 創業者の商才」 大陸文庫
平野貞夫 「わが友・小沢一郎」 幻冬舎

藤井行夫 「松下幸之助の人の動かし方」 三笠書房
船井幸雄 「プラス発想の視点」ビジネス社
船井幸雄 監修「ビジネスマンが読んでおくべき一流のあの選択、この決断」三笠書房
船井幸雄 監修「歴史二学ぶ勝つためのセオリー」三笠書房
船井幸雄 「船井幸雄の人間の研究」 PHP
船井幸雄 「実践本物の経営」ダイヤモンド社
福沢諭吉 「福翁自伝」 岩波文庫

ヘミングウェイ 「武器をさらば」 新潮文庫

星 新一 「人民は弱し 官吏は強し」 角川文庫
星 新一 「明治の人物誌」 新潮文庫
星 新一 「明治・父・アメリカ」 新潮文庫
堀 紘一 「人と違うことをやれ!」PHP文庫
堀 紘一 「会社が放り出したい人1億積んでもほしい人」PHP文庫
本田宗一郎 「やりたいことをやれ」 PHP

牧山桂子  「次郎と正子」 新潮文庫
松下幸之助 「経営心得帖」 PHP文庫
松下幸之助 「商売心得帖」 PHP文庫
松下幸之助 「人生心得帖」 PHP文庫
松下幸之助 「社員心得帖」 PHP文庫
松下幸之助 「経営にもダムのゆとり」PHP文庫
松下幸之助 「わが経営を語る」PHP文庫
松下幸之助 「君に志はあるか 松下政経塾 塾長問答集」PHP文庫
松下幸之助 「リーダーを志す君へ 松下政経塾 塾長問答集」PHP文庫
松下幸之助 「人を活かす経営」PHP文庫
松下幸之助 「松下幸之助 夢を育てる」 日経ビジネス文庫
松下幸之助 「道をひらく」 PHP
松下幸之助 「折々の記」PHP
松本かづな 「私がマツモトキヨシです。」 サンマーク出版
丸茂潤吉 「踊る名言」 リーダーズノート・パブリッシング

三浦由起雄 「中内功の成功哲学」 三笠書房
三鬼陽之助 「東芝の悲劇」 光文社
三木谷浩史 「成公の法則92ケ条」幻冬舎
水木 楊 「田中角栄 その巨善と巨悪」 文春文庫
水島愛一朗 「豊田家と松下家」 グラフ社
水町重範 「総理の随行医」 大和書房
三土忠造 「湘南方丈記」 版房書倉千
三戸岡道夫「二宮金次郎から学んだ情熱の経営」栄光出版社
宮崎 輝 「宮崎輝きの取締役はこう勉強せよ!」中経出版
宮野 澄 「土光敏夫次世代へ申し送りたく候」PHP

村上元三 「岩崎弥太郎上下」 人物文庫 学陽書房
村橋勝子 「カイシャ意外史」 日本経済新聞社

メリメ 「カルメン」新潮文庫

盛田昭夫研究会 「盛田昭夫語録」 小学館文庫

安川雄之助 「安川雄之助の生涯 三井物産筆頭常務」 東洋経済
柳田邦男 「大いなる決断」 講談社文庫
山川泰治 「ワールド急成長の軌跡」 商業界
山口廣太 「藤田田流創業指南 我かく生きビジネスに勝利す!」経林書房
山之内製薬㈱ 「万象皆師」 創業者山内健二言行録
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渡辺淳一 「遠き落日 上下」 角川文庫
  1. 2012/03/21(水) 00:50:29|
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細野豪志 街頭演説(川崎市)瓦礫処理

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平成24年3月18日
題名:「細野豪志 街頭演説(川崎市)瓦礫処理」


3月17日23:30分に購読している細野大臣のメルマガが届いた。そのメルマガに明日(18日日曜日) の午後、川崎市で街頭から瓦礫処理について訴えかけると書いてあった。黒岩神奈川県知事、阿部川崎市長、そして、党派を超えて、多くの同僚議員が集るとのことであった。

今更ではあるが、先日から瓦礫の処理に関しては与野党協力して何とかしようという動きが見受けられる。

細野大臣は国会議員になる前に代議士の秘書をしていたことがある。私も細野大臣が秘書をしていた代議士の秘書をしていたことがあり、細野大臣は私にとっては事務所の先輩にあたる。

細野大臣との付き合いは10年以上になるが、人間的にはとても尊敬出来る人である。また、瓦礫の処理が進まないと被災地の復興は一歩も前に進まない。そういうこともあり、細野大臣にエールを送るのと、瓦礫受け入れ反対派が何に反対しているのか実際に現場を見てみたいという思いから街頭演説を聞きにいくことにした。

ところが、細野大臣のメルマガには午後から川崎市で街頭から訴えかけると書いてあるだけで、場所や時間などの詳細がない。神奈川県知事や川崎市長や野党議員も来るとのことなので、他の議員のHPやブログ、twitterやフィイスブック等も調べてみたが場所や時間は分からなかった。反対派ばかりが集結するのであえて告知をしなかったのかどうかは分からないが、特に賛成派を動員していることもなさそうである。

土日は恐らく東京の細野事務所に電話をしても誰もいないであろう。仕方がないので翌日の朝に私が住んでいる選挙区(川崎市高津区)の樋高剛衆議院議員の事務所に電話をして聞いてみた。「今日の午後、川崎市で細野大臣や神奈川県知事、川崎市長などが街頭をされると聞いたのですが、樋高先生も来られますか?」「はい、樋高も公務が入らない限り行く予定です」との返事であった。そこで場所と時間を聞いたところ、川崎駅東口駅前広場で16:00時からと教えてくれた。

街頭が行われる駅前広場には15:35分位についた。やはり告知をしていないせいかあまり人はいなかった。そこで私は一番前に立って始まるのを待つことにした。16:00時に近づくに従い徐々に人が増えてきた。しかし困ったことに、気付いたら自分の周りは全て反対派で埋め尽くされていた。瓦礫処理受け入れ反対のプロカードを持っている人や、始まる前から反対と叫んでいる人ばかりである。

始まる直前には200人くらいの人が集まり7割が反対派、3割が賛成派といった感じであろうか、前の方にいるのが反対派でその後に賛成派がいるといった状況であった。

黒岩神奈川県知事、阿部川崎市長、林文子横浜市長、相模原市長、自民党の川口順子元環境大臣はじめ野党議員も沢山来ていた。

まず初めに黒岩神奈川県知事が訴えかけたが、怒号が飛び交う。後の方から賛成派の拍手が聞こえてくるという状況であった。

私はしまったと思ったのは、前の方は反対派ばかりである。細野大臣に私も反対派の仲間だと思われてしまうのではないか心配になってきた。

そして細野大臣の演説がはじまった。野次や怒号が最高潮に達する。後の方からは賛成派の拍手が聞こえる。私も拍手をしようと思うが、周りは全て反対派で怖くて拍手が出来ない。現場にいると殺気が感じる。阪神巨人戦の甲子園球場のライトスタンドで巨人の応援をするようなものである。自分はなんと弱い人間なんだろうと情けなくなったが、正直に怖かった。しかし拍手をしなければ反対派と思われてしまう、それにエールを送りに来たのだからと思い直し、腹を括ってビクビクしながら拍手をしたが特に身の危険はなくホットした(しかしこの時は、細野大臣は私の存在には気付いていないようであった)

演説が終わり、細野大臣が聴衆を眺めている。すると私に気付き「よっ」という顔をした。
私はすかさず小さくガッツポーズをした。すると細野大臣もニコッとして小さくガッツポーズを返してくれた。とりあえず今日はエールを送りに来たのであり反対しに来たのではないことが伝わりホットした。その後、細野大臣と帰り際に少しではあるが話が出来「頑張ってください」と伝えることが出来た。

そしてもう一つの目的は反対派の意見を聞くことであるが、どうにも腑に落ちないことがただあった。「政府の言うことは信用出来ない」、「政府の説明が足りない」といったことが根本にあることは分かるが、怒号の声を拾ってみると、例えば自民の議員が「瓦礫だけは海外に持っていくことは出来ません。国内で処理するしかないのでどうか、ご理解、ご協力をお願いしたい」との訴えたのに対して、「瓦礫を県外に持ち出すな」と叫ぶ。「瓦礫を県外で処理をしないと復興は進みません」というと「そんなことは知るか、それを考えるのがお前らの仕事だろ」と叫ぶ。また宮城県多賀城市から持ってきた瓦礫を実際に測り、全く通常の瓦礫と変わらないか、放射性物質は極めて微量です」と説明すると「嘘をつけ」「そんなものはインチキだ」と叫ぶ声が聞こえる。「ではご自身でも測ってみてください」と呼びかけると「何故俺達が測らなければいけないんだ」「いい加減にしろ」という野次が飛ぶ。

どうも聞いていると、「瓦礫を県外に持ち出すことは反対だが、そのことで被災地の復興が進まないことはしったこっちゃない」と言っているようにしか聞こえない。ただこれも反対している人達の中でも一部だとは思うが。

県外に瓦礫を出すことに反対であれば、県内(被災地)で処理する方法を提案すべきではないか。残念ながらこういった声は聞こえてこなかった。

それに反対している人達も自分が住んでいる地域で災害があった時はどうするのだろうか。


細野環境大臣の演説
細野環境大臣の演説
黒岩神奈川県知事の演説
黒岩神奈川県知事の演説
川口順子元環境大臣の演説
川口順子元環境大臣の演説
プラカードで瓦礫処理を反対する住民
プラカードで瓦礫処理を反対する住民
  1. 2012/03/18(日) 00:57:43|
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細野豪志 瓦礫処理

細野豪志(ほその・ごうし)経歴(プロフィール)
1971年~(昭和46年~)環境大臣、原子力発電所事故収束・再発防止担当大臣、内閣府特命担当大臣(原子力行政)。民主党所属。出生地京都府綾部市。出身地滋賀県近江八幡市。京都大学法学部卒業。三和総合研究所研究員(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング)を経て、2000年衆議院議員初当選。当選4回。静岡5区。

関連サイト
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細野豪志の知られざる逸話

平成24年3月14日
題名:「 東日本大震災から1年」



東日本大震災から1年が経過した。自然の猛威に対する人間の無力さを感じると同時に、被災地のために「何ができるか」を考え、多くの人が助け合いの精神を発揮して行動している姿に感動させられた1年でもあった。

しかし、1年経ってもまだ瓦礫の山がほとんど片づけられていないことに愕然とする。処理出来たのは全体の6%余りである。本当に日本は文明国なのかと疑いたくなる光景である。理由は単純で広域処理が進んでいないからである。被災地だけで瓦礫の処理をするのが不可能なので全国の自治体の首長に処理をお願いするも、首長は受け入れる気持があっても、一部の猛反対する住民を説得ができずにいるからだ。

反対する人達も瓦礫を受け入れることがいやなのではなく、安全であることが分かれば反対はしないはずである。問題は、政府は安全な瓦礫だけをお願いすると言っても、政治家や行政の言うことが信用されないことである。

これは今までの政府の震災や原発事故に対する対応のまずさがそうさせていると思うが、そもそも政治不信はそれより前の自公政権から積み上がってきたものだと思う。改めて政治は信用がないと一歩も前に進まないことを思い知らされる。ここは党派を超えた与野党の議員が力を合わせて信頼回復に全力を尽くすべきである。

しかし、ここ最近少し風向きが変わったと思うことがある。今、原発担当大臣として復興の皆の先頭に立っているのが細野豪志(ほそのごうし)議員である。細野大臣が瓦礫の処理が一向に進んでいないことに責任を感じて皆に必死に協力を求めた。

すると民主党内の国会議員が皆動き出し、地元の首長に瓦礫処理のお願いをして回る。それだけではなく、野党議員も動き出した。自民党の小池百合子元環境大臣が歴代の環境大臣を集結させ共同記者会見を開き瓦礫処理の受け入れをお願いした。そこで江田元環境大臣も細野さんの必死さに心を動かされて今日この記者会見に臨んでいると発言。また自民党の河野太郎議員も地元の神奈川県の黒岩知事が瓦礫の受け入れを表明したことをいち早く支持した。それだけでなくブログで何故、広域処理が必要か、何故安全なのかを詳細に説明している。国会議員でここまで細詳に説明しているブログは初めてだ。また議員宿舎で細野大臣に会いどう対応すればいいか色々とアドバイスもしているようだ。

党派を超えて政治家が被災地のために協力している姿は、政治家も捨てたものではないな、やれば出来るではないかと思えた瞬間であった。
与野党の議員が動いたのもひとえに細野大臣の人柄かもしれない。細野さんが昨年大臣になったのは39歳の時。戦後、二世議員ではなく30代で大臣になったのは田中角栄に次いで二人目である。

細野さんは菅前総理とも仲がいい、それでいて小沢元代表とも仲がいい。前原政調会長とも人間関係は良好だ。野党議員にも人間関係がある人が多い。そういうこともあってか不思議と細野大臣が国会で答弁に立つ時はあまり野次も飛ばない。

何故そんなことが分かるかといえば、実は細野さんは私が代議士の秘書をしていた時の事務所の先輩である。細野さんは28歳で初当選したのだが議員になる前に代議士の秘書をしていたことがある。細野さんが秘書を急遽辞めることになって、その後釜で秘書になったのが私であった。私が秘書となって国会の事務所で働くようになった時は、既に細野さんは事務所を辞めていたので引き継ぎなどで一緒に仕事をしたことはなかったが、政策通で物凄く仕事が出来る人という評判だった。その後、細野さんが衆議員選挙に当選し今度は議員として再び国会で働くようになってから同じ事務所の先輩後輩のよしみもあり、たまに食事をしたり、仕事の進路のことで相談に乗ってもらったりと、何かとお世話になった。

印象としては非常に優しい人である。そして人の悪口を言わない。少なくとも私は細野さんが人の悪口を言っているのを聞いたことがない(もちろん野党時代に政府の批判はしていたが)。さらにいうと偉くならい人である。ここが凄いと思う。政治家になった途端に偉くなる人は非常に多い。細野さんは今でも会えば「元気?」と向こうから声をかけてくれる。そういう人である。

最近も永田町で働いている人に細野さんのことを聞いてみると、仕事ができ与野党に敵が少ないという評判だが頷ける話である。

細野さんは元々、阪神淡路大震災でボランティアをしたことが政治家を志したきっかけであった、父親も農家出身のサラリーマン。国民目線をしっかりもっている政治家だと思う。批判を浴びながらも懸命に福島の人に気持を寄せている姿が目に浮かぶ。福島の人の心をきっと掴めると思う。そういった意味では細野さんの原発担当大臣起用はもっとも適材適所の閣僚人事だったのではないかと思う。

瓦礫処理の問題は今一度、日本人の国民性が試されていると思う。そもそも全国で瓦礫の処理を受け入れなければ被災地の復興が一歩も前に進まないことは誰もが分かっていることである。放射能は政府も検査するし、自治体でも検査する、反対している人達にも自ら検査をしていただくと言っている。これは非常にいい案だと思う。ここは政治家も国民も一体となって乗り越えていくべきだと思う。そして最後にスマイルズ(英国作家)の言葉を紹介して終わりたい。

「国民がしっかりしていれば政治もしっかりしていく。国民が無知で堕落していれば政治もひどいものになる。結局、国家の評価も国家の力も、その国の制度によるのではなく、その国民の質とレベルで決まることなのだ」サミュエル・スマイルズ(自助論)


参照
河野太郎のブログ(瓦礫処理についての詳細)
http://bit.ly/AmArkr
http://bit.ly/yyv9KZ
http://bit.ly/xiOqU9
  1. 2012/03/14(水) 18:32:07|
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