偉人のエピソード逸話集

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秋山真之

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東郷平八郎の知られざる逸話 http://bit.ly/xXPUfB




平成23年12月29日
題名:秋山真之と東郷平八郎から学ぶ危機管理の心構え



世界の政治家で名文家は誰かと問われれば、私は迷わず英国のウィンストン・チャーチルをあげる。チャーチルは第2次世界大戦の翌年から1945年までイギリス首相として大戦を勝利に導いた人物である。チャーチルが書いた「第2次世界大戦回顧録」は不朽の名作といわれる。私も何度となく読んだが、チャーチルの文章には国として政治家として、また人の生き方として大切な教訓が沢山詰め込まれている。鋭い洞察力、知性溢れる文章で読み応えがありまさに名文だと思う。

では日本で名文家は誰かと問われれば、政治家ではないが「連合艦隊解散の辞」を起草した秋山真之海軍参謀をあげる。秋山は東郷平八郎司令長官の参謀として日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破り、日露戦争を勝利に導いた功労者の一人である。

日本海海戦はロシア艦隊の主力艦のことごとくを撃沈したのに対して、日本の連合艦隊は無傷に近い状態での完全勝利であった。

世界の海軍が唯一最大の模範としてきたトラファルガーの海戦でさえ戦勝軍の英国海軍は乗員の一割を失い、ネルソン司令長官も戦死している。

だからこそ日本のこの勝利は世界を驚かせたと同時に東郷は英国のネルソン提督とならぶ世界の海軍二代英雄と讃えられた。(ネルソンは最後戦死したのだから東郷の方が上ではないかと私は思うが)

そして戦争が終わり、連合艦隊が解散したのが明治38年12月20日で、その解散式が翌日旗艦において行われたが、その時に東郷司令長官が読み上げた訓示が有名な「連合艦隊解散の辞」である。起草したのは秋山参謀とされる。

連合艦隊解散の辞(全文) http://bit.ly/wSJzi7

この文章は様々な形式で各国に翻訳された。なかでも米国のセオドア・ルーズベルトは大変な感銘を受け、英訳文を全米の海軍将兵に配布したほどである。

この訓示には「過去の歴史や教訓から学ぶ大切さ」や「平素の鍛錬の大切さ」「油断大敵」など、今にも通じる大切な教訓の数々が簡潔に分かりやすく書かれていると思う。中でも「危機管理に対する心構え」が鮮明に表現されている。

長文になるのでここでは一部分だけを抜粋する。
「軍人が太平に安心して、目前の安楽を追うならば、兵備の外見がいかに立派であっても、それはあたかも、砂上の楼閣のようなものでしかなく、ひとたび暴風にあえば、たちまち崩壊してしまうであろう。まことに心すべきことである。・・・神は平素ひたすら鍛錬につとめ、戦う前に既に戦勝を約束された者に、勝利の栄冠を授けると共に、一勝に満足し、太平に安閑としている者からは、ただちにその栄冠を取上げてしまうであろう。昔のことわざにも『勝って兜(かぶと)の緒(お)を締めよ』とある」

この部分だけからも、危機管理に対する心構えが読みとれると思う。何も軍人だけのことではなく、現代の国家の危機管理もしかり、企業もしかり、人もしかり、全ての組織、人に当てはまるものではないかと思う。

先人が命がけで国を護り、そして残してくれた文章である。今一度この訓示から学び今後に活かしていきたいと思う。


文責 田宮 卓
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  1. 2011/12/29(木) 01:19:46|
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岩崎弥太郎と扇子に小判

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平成23年12月15日
題名:「三菱にみる商売の原点」



今年も残すところあと僅かになったが、本年は政治の停滞が叫ばれる中、一方で大企業の不祥事、問題が浮き彫りになった年ではないかと思う。東電に始まり、大王製紙前会長の子会社からの多額な借り入れ問題、オリンパスの損失隠し問題、読売新聞のお家騒動と次から次へと問題が噴出した。経営者はもとよりそこで働く人、一人一人が一層、襟を正していかなければいけないと思うが、人間が風邪をひくように大企業には必ず大企業病といわれる病気にかかる時期がある。これは一体何故であろうか?

私は大企業病の多くは商売の原点というべきものを忘れた時に起こるのではないかと思う。半官半民でスタートしたケースもあるが、今ある大企業のほとんどは創業者が命がけで多くの犠牲と苦労を重ねリスクを背負い土台を築いてきたものである。そのことに対する有り難さや、またどの企業にも創業期に商売の原点ともいうべき話がたいていあるものである。ところが、時が経つにつれ、世代が代わり、会社が大きくなるにつれていつの間にかその商売の原点というものが忘れさられていく。その時にたいてい大企業病という病気にかかると思う。逆に商売の原点というものをしっかり守っている企業は多少のことではビクともしないだろう。

では商売の原点とは何か、ここではイトーヨーカ堂と三菱の例で考えてみたいと思う。

イトーヨーカ堂の創業者、伊藤雅俊は戦後に母親と兄と3人で東京・北千住の中華ソバ屋「たぬき屋」の軒先から商売の再出発をした。お金もない、土地もない、信用もない、ないない尽くしのスタートである。しかし母親は「お客様は来ないもの」「取引をしたくとも取引先は簡単には応じてくれないもの」「銀行は簡単には貸してくれないもの」、そのような、ないないづくしから商いというものは出発するものと息子達に言い聞かせたという。この母親は明治から商売をしており、それまでに日露戦争と関東大震災で2度も店をを失うという経験をしている。いずれもそこから這い上がってきた気骨な母親であった。実に母親の教育が良かったといえるが、当時を振り返り伊藤は「全てが揃っていたり、揃う目処がついた時点から商売を始めた人はその感覚が乏しいのではないかと思う。全てがないことがあたりまえなんだ、あるようになることは本当に有難いことなんだという思いでスタートした人は、商売の形態、精神力、お客様との関係などを力強く推し進めていくことが出来ると思う」と語っている。

このイトーヨーカド堂のスタートに商売の原点というものを見出せる気がするが、会社が大きくなるほど忘れさられる感覚ではないかと思う。

そして日本を代表する財閥に三菱グループがあるが、三菱の創業期にも商売の原点ともいえる話がある。三菱は明治の動乱期に土佐の地下浪人の子であった岩崎弥太郎(いわさき・やたろう)が創設し財閥の基礎を築いた。明治10年の西南戦争の時には、船で政府軍の軍事輸送を全て請け負ったことから、莫大な利益を得たとされる。このことからも弥太郎は政商として成功し巨利を得た典型的な人物に思われるが、その見方は一方的である。商売に関しては実に厳しい面があったが、ここを見落としてはいけないと思う。

初期の三菱社員は土佐藩士が多数を占め、プライドが高く高飛車な連中が多かった。そこで弥太郎は、社員全員に和服・角帯と前垂れの着用を命じた。周知ように前たれは商人の格好そのものだ。これを全員に強用したのである。お客を神様のごとく丁重に対応するように周知徹底した。この姿勢が世間の人から好感を得て、三菱は信用を確実に築きあげていく。お客様第一を社員全員に徹底させたところに弥太郎の凄さがあると思う。

なかには重役の石川七財だけは、どうしても武士の気風が抜けきれず、顧客に頭を下げることが出来なかった。すると弥太郎は小判を描いた扇子を石川にプレゼントし、「得意先の番頭や小僧に頭を下げると思うから悔しくなるのだ。この扇子を開き小判に頭を下げると思え」とアドバイスした。以後、石川の態度も改まったという。

また、経費に関しても厳しかった。弟の弥之助が白紙に領収書を張り付けているのを見た弥太郎は激怒する。「貴様は立派な紙を使っているが、全国の支社が皆白紙を用いて貼ったならば、年間幾らの費用になると思うか。使い古しの反古紙を用いた場合と幾ら違うか、計算してみよ」と叱りつけた。そこで弥之助が計算してみると400円もの差が出たので驚いたという。

武士上がりの社員が多いなか、全社員に顧客第一主義を徹底できたところに三菱発展の秘訣があると思う、また無駄使いをしないという当たり前のことも徹底したところにも成功の要因があると思うが、いずれも会社が大きくなるにつれていつの間にか忘れさられることである。

イトーヨーカ堂と三菱を例にあげたが、私が調べた限りでは、たいていどの会社にも創業期に商売の原点となる話がある。それが家訓となっていたり、綱領となっていたり、社是となっていたり、企業理念として明文化されている。しかしその明文化されたものが絵に描いた餅になった時に大企業病にかかるといっていいだろう。

また。企業は財テクなど、時には本業と関係ないことに走ることがある。1980年代のバブル期に、特に大企業に財テクに走った企業が多く、バブルが弾けて会社の存続を揺るがすダメージを受けたところが少なからずあった。不正ではないがこういったことも、やはり商売の原点を忘れた時に起こるのではないかと思う。

サントリーの創業者、鳥井信治郎(とりい・しんじろう)が戦後、側近に焼け跡の買い占めを提案されたことがあったが、「そんな阿呆なことはやめなはれ。カネ儲けの方法はなんぼでもあるけど、そんなことで儲けたってしょうがない」と言い、土地買い上げの案を却下した。

やはり、叩き上げで一から商売をやってきた人である、商人道というか、商売に対する正しい感というものが働くのだろう。逆に商売の原点を忘れた時に、正しい判断が出来なくなる。良かれと思ってした決断が命取りになる。ということは常に謙虚に商売の原点を意識することが「転ばぬ先の杖」となるといえるだろう。

文責 田宮 卓
  1. 2011/12/15(木) 05:14:26|
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スティーブ・ジョブズ(アップル創業者)

スティーブ・ジョブズの略歴
1955年~2011年(昭和30年~平成23年)アップル創業者。2月24日生まれ。両親が結婚を認められなかったため、ポール・ジョブズ、クラリス・ジョブズ夫婦に養子として引き取られる。1972年、リード大学に進学するものの半年で中退。1974年、アタリ社入社。1975年、ウォズと共にApple Iを開発。1976年、Apple Iを販売。その利益で、ジョブズ・ウォズ・マークラで「アップルコンピュータ」を設立。1980年、アップルコンピュータの株式を公開(IPO)。1985年、アップルを辞任、新しい会社NeXTを立ち上げる。1997年、アップルCEOに暫定で復帰。1998年、iMacを発売。2000年、正式にアップルのCEOに就任する。2001年、iTunes、iPod、Mac OS Xを発売。2007年、iPhoneを発売。2010年、iPadを発売。2011年10月5日死去。56歳で没

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スティーブ・ジョブズ(アップル創業者)語録 http://bit.ly/1j5RV8Q
御手洗毅(キヤノン初代社長)語録 http://bit.ly/w3rD8W
小平浪平(日立創業者)語録 http://bit.ly/As5ZOH
山下長(オリンパス創業者)語録 http://bit.ly/Aisp9q
豊田佐吉語録 http://bit.ly/oZ31S3






スティーブ・ジョブスの知られざる逸話

平成23年12月5日
題名:「開拓者魂」



この世界には2種類の人がいる。新天地を切り拓く「開拓者」と、開拓された地で学校や病院をつくって暮らす「定住者」である。

もし開拓者がいなくなり定住者だけになれば、限られた場所に人があふれて困ってしまう。勇気を持って未開の地を切り拓く開拓者がいなければ世の中は発展しない。そう考えると開拓者とは実に貴い存在であると思う。そしてこの「開拓者」の塊(かたまり)のような人物が、先日(2011年10月5日死去)亡くなったアップルの創業者、スティーブ・ジョブズではなかろうか。

ジョブスが生んだMac(マッキントッシュ)は、専門知識を持った人しか扱えなかったコンピュータを「誰でも使えるパソコン」に変えた。iPodは「音楽はCDショップまで出向いて買うもの」という消費者行動を一転させ、自宅で最新の楽曲を買えるようにしただけでなく、音楽業界の秩序を塗り替えた。iPhoneは通信キャリア主導の業界に、大きな風穴を空け、携帯電話の常識を紛糾してくれた。

ジョブズは「他社がやっているこの製品と同じものをつくれ」と現場に命令したことは一度もなかったという。「世の中にないもの、世界が驚くものをつくる」これがジョブズの信念であり、アップルと他社を差別化する最大のポイントであった。

また、デザインは単なる表面的な見た目ではなく、「人類の創造物に宿る根源的精神」つまりデザインは機能そのもので、デザイン=機能という新しい概念を持ち込んだのも画期的なことであった。

しかしこの開拓者魂あふれる経営者は、何もジョブズだけではい。日本ではかつてのソニーやホンダに代表されるが、他にも開拓に信念を燃やした経営者が沢山いた。

キヤノンの初代社長の御手洗毅(みたらい・たけし)は西ドイツ(当時)のライカがカメラの世界マーケットで圧倒的な強さを持っており、キヤノンはその足元にも及ばなかったが、

「キヤノンはライカに追い付き、ライカを追い越す。世界一が念願だ。よそが真似できない、世界一のものをつくれ」と檄を飛ばして、ライカにもない独自の機構のカメラを創りあげた。「キヤノンはあくまでも、高品質で世界一を目指す」これが御手洗の揺るぎない信念であった。

また、明治時代には小平浪平(おだいら・なみへい)という青年が、茨城県の人里離れた鉱山の草深い谷間に粗末な丸太小屋をつくり、そこで発電機を国産技術で製作すると息巻いた。当時の日本で発電機を独自で創るのは荒唐無稽(こうとうむけい)な話しであったが、小平の外国に頼らない国産技術の確立に対する情熱は並々ならぬものがあった。何度も試行錯誤を続け、ついに日本初の発電機に成功する。これが現代の日立の始まりである。アップルの始まりは小さな家のガレッジからであったが、日立の始まりも人里離れた丸太小屋からであった。

そして今問題になっているオリンパスも創業者の山下長(やました・たけし)の「何とか国産の顕微鏡を作りたい」という強烈な思い、夢から始まった。日本の顕微鏡は、明治以来、西洋医学とくに細菌学の発達に伴い、その儒要は急増していたが、全て外国製品に依存する状態であった。そこで奮起したのがこの山下であった。今も世界の消化器内視鏡のシェアの70%がオリンパスである。

財テクの失敗による社長3代に渡っての損失隠しとは何とも情けない話である。当時、財テクに走ったのは何もオリンパスだけではなかったが、やはり偉大なメーカー企業であるための存在意義は開拓者であり続けることにあるのではないか。このことをジョブズが教えてくれたが気がする。

ジョブズが1997年にアップル再建のため暫定CEOに復帰した時の年俸はたったの一ドルであった。ジョブズにとってお金は問題ではない。そして2011年夏、アップルは巨大石油企業のエクソン・モービルを追い抜いて株式時価総額で世界一にとなり、業績は創業以来最高となった。ジョブズには自身の年俸もそうであるが、財テクで再建しようとかそんな発想は微塵も持たなかったであろう。ジョブズは全世界に開拓者であることの貴さ、存在意義、結果的に世界一の企業になれることを示してくれた。恐らくエジソンに続く偉人としてその名を世界の歴史に残すであろう。

そして、日本の開拓者でもう一人忘れてはいけない人物がいる。それは発明王といわれたトヨタグループの創業者、豊田佐吉(とよだ・さきち)である。最後に彼の残した言葉を紹介したい。発明・発見は何も一部の特別な人だけが持っている能力ではない。

未開の秘庫は、扉を開けてくれと呼びかけている
「発明発見とか、創意工夫の世界は、あくまでも広大無辺で、今まで人間の踏み込んだ地域は九牛(きゅうぎゅう)の一毛(いちもう)にも達していない。その大きな未開の秘庫は『早く扉を開けてくれ』と、中からいつもわれわれに呼びかけている。しかもその扉を開く鍵は、いつも、どこにも、誰の足下にも転がっておるのである」豊田佐吉


文責 田宮 卓
  1. 2011/12/05(月) 15:50:11|
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