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野口英世

野口英世(のぐち・ひでよ)略歴
1876年~ 1928年(明治9年~昭和3年)日本の細菌学者。福島県生まれ。ペンシルベニア大学医学部を経て、ロックフェラー医学研究所研究員。細菌学者として数々の論文を発表し、3度ノーベル生理学・医学賞候補になる。黄熱病の研究中、自身も罹患し、アフリカのガーナのアクラにて51歳で死去 。

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野口英世の知られざる逸話

平成22年2月15日
題名:「情熱が人の心を動かし前途が開く」



本当にこれをやりたいという情熱が人の心を動かし運命を切り拓いていくことがあるようです。本気でやりたいと思うのであれば思いきって行動に移してみるのも一つの方法かもしれない。

1900年(明治33年)、ある日本の青年医師がアメリカのペンシルバニア大学の助手になり医学を研究したいと思い、僅かな寄付金を元手に単身アメリカに渡った。フレキスナー教授は目の前に立つ日本の青年医師が最初誰なのか分からなかったが、以前東京に行った時に通訳をしてくれた青年であることを思い出した。

「お約束通り先生の下で勉強するため、日本からやってまいりました。」そういわれてもフレキスナー教授は約束した覚えはない。たしかにアメリカに来い、といったかもしれないが社交辞令であり本気で来るとは思わなかった。もし来るとしても事前に連絡をとり一応の了解をとるのが礼儀である。それが大きな荷物を持って一方的に押しかけてきたのだ。

「一生懸命働きますから助手にしてください」「この大学の研究生は皆自費で勉強しているが、あなたはその費用はあるのか」「残念ながらありません」「じゃあどうするんだ」「ここで働かせてもらいながら勉強したいと思います」「突然そんなことを言われても無理だ、直ぐに採用はできん」いかに教授といえども大学本部に相談せずに助手を雇うことはできないのである。「私はなんでもしますから頼みます」フレキスナー教授は困惑するがこの青年も必死である。ここで追い返されたのであれば何のためにアメリカに来たのかわからない。

しかしこの青年の図々しさには呆れるが、はるばる日本から来たものを直ぐに追い返すわけにもいかない。結局この青年を当時、不気味さと危険さで誰もやりたがらなかった毒蛇の蛇毒を抜く係としてポケットマネーで雇うことにした。この青年は死にものぐるいで働き勉強した。そして蛇毒というテーマの研究が与えられ、研究の成果を論文にまとめた。この論文はフレキスナー教授の上司であるサイラス・ミッチェル博士に絶賛され、この青年は一躍アメリカの医学界で名前が知られることとなった。この青年が世界的な細菌学者となる野口英世である。

本当にやりたいと思うのであれば、無理だと思わずにまずは行動に移してみると、思わぬところで前途が開けることがあるかもしれない。     
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  1. 2010/02/15(月) 16:46:17|
  2. 野口英世(細菌学者)
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