偉人のエピソード逸話集

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伊藤忠兵衛(伊藤忠商事創業者)

伊藤忠兵衛(いとう・ちゅうべい)略歴
1886年~1973年(明治19年~昭和48年)伊藤忠商事及び丸紅創業者。滋賀県生まれ。幼名・精一。県立八幡商業卒。明治36年2代目忠兵衛を襲名して家業の綿糸卸商・伊藤本店を継承。大正7年株式会社伊藤忠合名に改組。同年伊藤忠商事設立。このあと富山紡績、呉羽(くれは)紡績らを設立したのち、昭和19年合併統合して大建産業設立。戦後公職追放で引退。86歳で没。著書に「伊藤忠兵衛翁回想録」他。

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伊藤忠兵衛(2代目・伊藤忠商事創業者)の知られざる逸話

平成22年1月24日
題名:「自分に魅力をつけろ、座談の天才になれ」


 
交流会やパーティの場で名刺交換をすると、有名企業の人に自分はどこどこ会社の者だと誇らしげな態度をする人をたまに見かけるが、そのくせ話をしてみると自分の関わっている仕事以外のことになるとからきし分からない。また他にも何の話題もなく会話が乏しいことが多い。有名企業に属していることにしか価値がないというのではあまりにも寂しくないだろうか。一流大学を出て一流企業に勤めると、それだけで人は関心を示してくれるかもしれないが、いつの間にか自身に魅力をつけることを忘れてしまうのかもしれない。せっかっく優秀な人達なのにそれではあまりにももったいない。ここでは座談の天才と言われた実業家から座談のコツを学んでみたい。

「勉学が目的だが、実家の織物の仕事もあるから有名大学をさけて最初ロンドン大学に行った。経済学部で講義を受けたがさっぱり分からぬ。ところが下宿屋へ帰って教科書を読むと大半理解できる。これで私は通学しなくとも勉強できると考え、本ばかり買い入れて商売の方に精を出した。」これは伊藤忠商事の実質的な創業者、2代目伊藤忠兵衛の述懐である。

滋賀から大阪に進出し、呉服や綿糸などを中心に事業を拡大していた初代忠兵衛が亡くなったのが1903年。その時に東京高商(現一橋大)への進学を断念し家督を相続し2代目を襲名したのが忠兵衛17歳の時であった。翌年、伊藤本店に入店。そこで奉公から行商まで修行を積み、1908年、伊藤家の事業をまとめて伊藤忠兵衛本部を設立、代表に就任したのが若干22歳の時であった。それ以来商売一筋、会社を日本有数の繊維商社に発展させた。

大学で学問は学ばなかったが、伊藤忠兵衛を知る人は皆彼を一言でいえば「博覧強記の人」と評した。知識をひけらかすのではなく、話題を提供して座を白けないようにする心配りがある。だから誰からも慕われた。

戦後は親善外交としても活躍する。1958年、忠兵衛は貿易使節団団長として、オーストラリアを訪問する。前年に訪豪した首相の岸信介が強く残る反日感情を何とか和らげたいために、忠兵衛を見込んで要請した。豪州側に招かれた宴席が盛上がらないでいると、忠兵衛はお礼に炭坑筋を披露しようと隣席の者を促し突然踊り出す。団員もこれに倣うと、あちらの大臣・次官の面々も連なって「月が出た出た」と始め、その後は打解けた懇談になった。

忠兵衛はまさに座談の天才、愛すべき人であった。大学を出ている出ていないは関係ない。有名企業に属していなくとも肩書きがなくても、どんな人とも話が合わせられ、どんな人に会っても物怖じしない、こういう人が真に魅力のある人物でなかろうか。                        


文責 田宮 卓
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  1. 2010/01/24(日) 14:30:42|
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