偉人のエピソード逸話集

創業者、名経営者、政治家、偉人のエピソード、逸話を大公開!

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ファイザー社

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盛田昭夫(ソニー創業者)語録集(開発編) http://bit.ly/w1toyf



平成21年10月24日
題名:「企業も個人もチャレンジ精神がなくなると将来性もなくなる」


「ファイザー社では、未知の領域を克服することが伝統として受け継がれています。誰も他に取り組む者のいないような難関に何度も挑戦することによって、わが社の姿が形づくられたのです。私たちの進取の精神が偉大な功績を可能にしたのです。」1992年にファイザー社のCEOに就任したウィリアムC.スティアJrはこのように語った。

確かにファイザー社の歴史は、大胆な決断に満ちた革新と冒険の歴史であったといえるが、それはファイザー社を設立した二人のチャールズ、「チャールズ・ファイザー」と「チャールズ・エアハルト」がパイオニア精神を植え付けたからに他ならない。

スティアは一に研究、二に研究、三に研究と主要製薬会社のほとんどがジェネリック(後発医薬品)会社の販売網を合併・買収にやっきになっている時にこう主張し続けた。

スティアが会長に就任すると社員達はジェネリック(特許の切れた医薬品である後発医薬品を製造する会社)を買収するべきだと主張したが、わが社はジェネリックではなく研究開発型の企業であり、知的所有権こそわが社の命綱であることを主張し研究開発に経営資源を集中させた。このスティア会長の決断と実行が結果的にファイザー社を世界一位の製薬会社になることに貢献することになった。

日本でも1958年(昭和33年)「週刊朝日」誌上に、当時の人気評論家である大宅壮一が「ソニーはモルモットである」という趣旨の文章を掲載し話題を呼んだ。この文章は東芝をテーマにしたものだが、その中で大宅は「トランジスタではソニーがトップメーカーであったが、現在ではここも東芝がトップに立ち、生産高はソニーの2倍半近くに達している。つまり、儲かるとわかれば必要な資金を投じられるところに東芝の強みがあるわけで、なんのことはない、ソニーは東芝のためのモルモット的な役割を果たしたことになる」と書いたのである。この文章を読んだソニーの創業者の井深と盛田は、初めは憤慨したが「ひとつひとつ開拓して商品にしていくのがモルモット精神だとすると、モルモット精神も良いではないか」とモルモットという皮肉を先駆者と置き換え「ソニー・モルモット論」を逆に展開した。この開拓者魂がソニーを世界的な大企業にまで発展させた要因ともいえよう。 

また発展する企業には必ず健全な赤字部門があると言われます。すなわち将来の発展の原動力となる新しい事業の芽を探す部門があるということである。逆に新しいことにチャレンジしていく精神やそのための投資をしなくなった瞬間にその企業の将来性もなくなるともいえるかもしれない。

このことはビジネスパーソンも同じで、新しい仕事にどんどんチャレンジしていく気持ちや自己研鑽の気持がなくなりなり守りに入った瞬間にその人の将来性もなくなるといえるかもしれな。

文責 田宮 卓  

参照

盛田昭夫(もりたあきお)経歴(プロフィール)
1921年~1999年(大正10年~平成11年)ソニー創業者の一人。1月26日愛知県名古屋市生まれ。大阪大学理学部物理学科卒業。1946年、東京通信工業(ソニーの前身)取締役に就任。1959年、ソニー代表取締役副社長に就任。1971年、社長。1976年、会長。藍綬褒章受章。勲一等瑞宝章授与。78歳で没。
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  1. 2009/10/24(土) 13:59:25|
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ファイザー社誕生秘話

関連サイト
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偉人の名言格言集 http://bit.ly/o1ny2l



ファイザー社誕生秘話

平成21年10月17日
題名:「シナジー効果は意外なところで生まれる」


1848年、冒険心あふれる二人のチェールズがドイツのルドヴィグスブルクからビックチャンスを夢見てアメリカに渡った。二人のチャールズは28歳と24歳の青年で従兄弟同士であった。それまで片方は薬剤師の助手として化学を学び、片方は菓子作りや販売を経験していた。彼らはアメリカに渡った最初の年に化学会社を設立しニューヨークのブリックリンに本店を構えた。

当時のアメリカの人々の生活は医学的に見て危険なことがいっぱいであった。例えば冷蔵設備がないため、肉やジャガイモを食べるだけでも寄生虫の危険にさらされた。アメリカで消化器関連疾患のよくある原因の一つが寄生虫であったが、当時この寄生虫を取り除く駆虫剤は中東産の直物シナヨモギから抽出されたサントニンというものであったが非常に苦く誰もこれを飲みたがらなかった。彼らはここに目をつけ一番最始めの製品を輸入品に勝てる駆虫剤サントニンにしようと決めた。

彼らが発明した駆虫剤サント二ンは何世紀も使われていた恐ろしくまずい駆虫剤サント二ンの薬を一変させるものであった。香りのいいアーモンドフィーとブレンドし、キャンディコーンの形にした駆虫剤サント二ンの薬はとても美味しく大当たりした。この二人のチャールズがニューヨークに設立したこの会社が後に世界最大の製薬メーカーとなる現在のファイザー社のである。

二人は原料の買い付けにしばしば大西洋を渡ったが、ある出張の途中でチャールズ・エアハルト・ファイザーはチャールズ・ファイザーの妹ファニーと求婚し、1856年二人は仕事のパートナーであり、従兄弟であることに加え義理の兄弟となった。

しかし世界のトップ企業となる会社の始まりが化学者と菓子職人との二つの才能の合作であったことが何とも面白い。

職場には一人や二人、合わない人や自分と価値観が全く違うと思える人がいるかもしれないが、そういう人とこそ協力関係で仕事をしてみると意外と二人のチャールズのように思わぬシナジー効果が生まれるかもしれない。一度トライしてみてはどうであろうか。


文責 田宮 卓
  1. 2009/10/17(土) 01:31:55|
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世界のトップ企業の経営者に必要な条件は理想的な外交官の素養

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石坂泰三(経団連2代会長)語録  http://bit.ly/xzOu7y
ハンク・マッキンネル(ファイザー元社長)語録 http://bit.ly/yBt4OW




平成21年10月2日
題名:世界のトップ企業の経営者に必要な条件は理想的な外交官の素養


「世界各地を訪れる機会に恵まれ、各国の大統領や首相、そしてネルソン・マンデラやU2のボノなど偉大な人々と知り合う幸運にも恵まれた。世界のトップクラスの創造的頭脳を持つ人達と一緒に働くことができたのも、この仕事に就いたおかげである。健康で長生きすることに役立つ薬の開発や普及に貢献できることを、私は誇りに思っている。私にとって、これ以上に充実した人生は考えられない。」こう語ったのは2001年に世界最大の製薬メーカー、ファイザーの会長兼CEOに就任したハンク・マッキンネルである。

戦後のわが国での外務省の新人研修で「外交官というのは、外交、政治、経済、哲学、歴史、文学、芸術が分かって人間を完成させ、その人間的魅力で相手とわたりあう仕事である」と教えていたという。これはあくまでも理想でしょうが、実際に世界的な大企業のトップともなると理想の外交官としての素養が求められるようだ。すなわちマッキンネルのように世界各地の政治家や経済人や文化人と話が出来るだけの知識や教養を持っていないととても務まるものではない。

戦後の日本人でそういった意味での最高の国際人といえばまず名前があがるのが石坂泰三(東芝社長、経団連会長、万国博会長等、歴任)であろう。世界各地に一流の人物を友人、知人に持っていた石坂は財界きっての教養人でもあった。

英語ならシェイクスピア、テニソン、エマーソン、カーライル、バイロン、スコット、ドイツ語ならゲーテ、シラー、アンデルセン等、全て原書を読破していたという。当時はあまり翻訳本がなかったこともあり古今東西の書物を原書で読破し教養を身につけていたといいます。

石坂の教養の深さに欧米人が驚嘆したエピソードがある。スコットランドを訪れた時のこと。石坂を招待してくれた英国の実業家と一緒に夜の散歩をしていた。月夜の晩だった。ゆっくりと歩きながら、石坂はスコットの「湖上の美人」の一節を朗々と吟じたのである。石坂と同道した英国人は驚嘆した。英国人でも滅多に諳んじている人がいないのに、東洋の実業家が英国の古典を朗々と吟じたのだから無理はない。逆に考えれば、こちらが外国人を地方に案内をしたら、その外国人がその地のゆかりの謡曲、民謡を唸りだすようなものだ。

スコットランドのような例はいくらでもあり、石坂はスイスではシラーの「ウィルヘルム・テル」の一節を披露し国際会議でやんやの喝采を受けたこともあった。かくして年ごとに、石坂の英語、ドイツ語の教養の深さは世界の実業家の間で有名であった。
会社は経営者の器以上にはならないと言われます。製薬業界で日本のトップ企業は武田薬品工業であるが世界ではトップテンにも入らず、17位(2007年度売上ランキング)である。グローバル化した市場の中で日本の製薬企業が生き残り、さらに世界を相手に戦うのであるならば、まずは経営者がマッキンネルや石坂泰三のように理想的な外交官としての素養を身につけることだろう。世界各地の要人から魅力的と思われる言語(知性、教養)をもたなければならない。


文責 田宮 卓 

参照

ハンク・マッキンネル経歴(プロフィール)
1971年、東京にてファイザー入社。以後、世界各地での勤務を経て2001年に会長兼CEOに就任。2003年には米国国連協会のグローバル・リーダーシップ賞を受賞。2004年には「フォーチュン」誌の「最もパワフルな経営者」の一人に選ばれた。アメリカの財界を代表する団体、ビジネスラウンドテーブルの議長を務める。


石坂泰三(いしざかたいぞう)経歴(プロフィール)
1886年~1975年(明治19年~昭和50年)経団連2代会長。東芝元社長。第一生命元社長。東京・下谷生まれ。東京帝国大学法学部卒後、逓信省入省。大正4年、第一生命入りし、昭和13年に社長に就任。昭和24年、東芝社長に就任して東芝再建に尽力。昭和31年、経団連会長。以降、6期12年間、財界のトップリーダーとして活躍し、財界総理と呼ばれた。88歳で没。
  1. 2009/10/02(金) 13:45:58|
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