偉人のエピソード逸話集

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小佐野賢治(国際興業創業者)

小佐野賢治(おさの・けんじ)略歴
1917年~1986年(大正6年~昭和61年)国際興業創業者。山梨県東山梨郡山村(現・甲州市勝沼)で農家の長男として生まれる。生家は非常に貧しく、幼いころは自宅さえもなく村の寺の軒先を借りる生活であったといわれる。小学校へ入学すると家計を助ける為に、毎朝午前3時に起床して新聞配達を行っていた。昭和8年、小学校卒業後、上京して自動車部品販売店へ就職。昭和15年東京で自動車部品業を創業。昭和20年熱海ホテル、山中湖ホテル、強羅ホテルを次々に買収。昭和21年東都乗合自動車(現・国際興業バス)を五島慶太から譲り受ける。昭和36年山梨交通会長に就任。昭和41年富士屋ホテルの経営権を握る。昭和44年十和田観光電鉄買収。昭和48年シェラトン・パレス・ホテルを取得。昭和49年シェラトン・ワイキキ、ロイヤル・ハワイアン、シェラトン・マウイの3ホテル取得。昭和51年ロッキード事件により衆議院予算委員会で証人喚問。昭和60年帝国ホテル会長に就任。70歳で没。

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小佐野賢治の知られざる逸話

平成19年7月7日
題名:「目先の利益に囚われない買収術・損して得取れ」



世田谷区上野毛(カミノゲ)の高台に広大な日本庭園があり、その庭の邸宅からは富士山と多摩川を見晴らせるという。この邸宅の主が誰かと言えば東急グループの総帥、五島慶太(ゴトウケイタ)である。 

時は昭和20年、上野毛の五島邸に粗末な背広を着たツルッパゲの男が強羅ホテルを買いたいとやって来た。

この時、五島は組合に越年資金をよこせとストライキを起こされ歳末生活資金の要求を突きつけられていて現金で500万円が必要であった。当時の500万円は現在の金額でいえば数十億円である。五島は組合対策資金を捻出するのに困り、ついに強羅ホテルを売ることを決意し、誰か買ってくれる人がいないか、当時の政友会の幹事長を務めたことのある大物代議士、田辺七六(シチロク)に相談したところ紹介されたのがこのツルッパゲの男であった。

しかしこの男の年齢を知って驚いたのは五島である。頭が禿げているので老けて見えるがまだ28歳だという。

「君が強羅ホテルを買うのか。」
「はい、売ってください。」
「5百万円以下では売らないよ。ただし現金でだ。」
「結構です。」
「金は、急ぐんだ。明日までに用意できるか。」
「用意してみせます。」

五島はあまりにも若いので本当に現金を用意出来るのかどうか半信半疑であったが、この男は翌日、五島の目の前にトランクから取り出した札束を積上げてみせた。そのときのこの男の台詞がふるっていた。

「わたしのような若造が、大それたことをとお叱りを受けるかもしれませんが、天下の五島さんが強羅ホテルを手放されるということは、よほどお金が大変だったのでしょう。ついては、5百5十万円で買わせてください。わたくしのご挨拶の手みやげ代わりです。」

普通の若者ならいくら相手が天下の五島慶太といえども、足元を見て値切るが当然であるがこの男は違っていた。相手の言い値に、さらに1割の50万円を上乗せし、5百5十万円出したのである。 それから直ぐに強羅ホテルの売買契約は成立した。

このツルッパゲの男が国際興業の社主、小佐野賢治(オサノケンジ)である。後に五島は伝記執筆のためにしばしば訪ねてきていた経済評論家の三鬼陽之助(ミキヨウノスケ)に「小佐野は山梨の百姓の子だというが、打てば響く男で学問はないが妙に折目が正しい。いつも筋も通っている。太閤秀吉、いや木下藤吉郎の生まれ変わったような男だ」と感嘆したという。

小佐野は強羅ホテルの買収をきっかけに五島慶太の知遇を得ることが出来、国際興業がバス事業としての出発となった「東都乗合自動車」を譲ってもらったり、財界の大御所、小林中(アタル)の家を売ってもらう等、公私にわたりバックアップを受け国際興業を飛躍させる足がかりを作ることが出来た。

強羅ホテルの買収そのものは一見高い買物に見えるかもしれないが、その代りに五島慶太の心を捉えることが出来たのである。

私は先日、小佐野賢治が存命中に国際興業の経理部で働いていた人に話を聞く機会を得た。
私はそれまで小佐野賢治は乗っ取りやというイメージがあり、お金に見境がなかったのではないかと思っていたがそうではなかった。

小佐野は回収に時間がかからない事業にしか手を付けず、回収に時間がかかる事業は一切やらなかったという。また、どんなに小さい書類、細かい伝票にいたるまで小佐野本人が印鑑を押していた。小切手の一枚でも自分が納得しないものには出さなかったという。10代の頃、自動者部品の販売をしていた時は下宿先の電気代、水道代を払うのがもったいないと営業用のトラックで寝ていたというほどの倹約家でもあった。小佐野も他の創業者がそうであるように1円たりとも無駄なものにはお金を使わない人であったのだ。

清濁合わせ持ち突出して人情の機微にたけていた小佐野にしてみれば一見高い買物に見える強羅ホテルの買収も五島慶太の心を捉えることが出来れば安い買物という計算があったのであろう。

小佐野賢治といえば政商として成り上がった男というダーティなイメージがあるかもしれないが、それだけで歴史の隅に片付けてしまうには余りにも惜しい人物である。現代の経営者も、特に買収やM&Aで事業を拡大しようと考える若い経営者はこの男から学ぶべきことは多いのではないかと思う。

文責 田宮 卓

参考文献
大下英治 「梟商 小佐野賢治の昭和戦国史」 講談社文庫
梶山季之 「実力経営者伝」徳間書店
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  1. 2007/07/07(土) 04:28:50|
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