偉人のエピソード逸話集

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宮崎輝(旭化成元社長)

宮崎輝(みやざき・かがやき)略歴
1909年~1992年(明治42年~平成4年)旭化成元社長。長崎県生まれ。昭和9年東京帝国大学法学部卒。同年旭ベンベルグ絹糸(旭化成の前身)に入社。昭和36年旭化成社長に就任。昭和60年会長。日本化繊協会会長、臨時行政調査会委員等を歴任。昭和57年勲一等瑞宝章。82歳で没。著書に「宮崎輝の取締役の選び方」

関連サイト
このブログのトップページ(目次) http://bit.ly/xLH35E
宮崎輝(旭化成元社長)語録 http://bit.ly/z5EX3r




宮崎輝の知られざる秘話

平成21年5月16日
題名:「その道のエキスパートになれ」



1934年日本窒素肥料(現旭化成)に旧東京帝大(現東大)の法学部を卒業した男が入社した。この男が最初に配属されたのが旭化成の子会社である旭ベンベルグの庶務課だった。庶務課は大阪商大や早稲田大学商科や商業学校を出た即戦力集団で固められていて、法学部出身はこの男一人だった。仕事はソロバンと手紙書きであったが学生時代法律の本しか読んでおらず、ソロバン等触れたこともなかったこの男はどうしてもうまくいかない「東大出の法学士なのに仕事は何も出来ない」と陰口をたたかれ、それがいやで会社を辞め、もう一度勉強し直して裁判官か弁護士になろうかと本気で悩んだという。

しかしこの屈辱が負けず嫌いのこの男の闘志に火をつけた「得意の法律を勉強して、会社で一番の法律通になって、まわりを見返してやる」と決意し夜の街で酒を飲みにいく同僚を横目にみながら独身寮の図書館で猛勉強をはじめた。会社の手続き業務には民事、刑事、特許の出願手続きまでいろいろあるが、これらに関連する法律から社債を出す時に必要な法律の信託法、工場で大量の水を使っていたので河川法とか、会社の業務の実際に役立つ各論を毎晩図書館から一歩も出ずに勉強した。

3年も勉強を続けていると社内で「若いけれど法律をよく知っている、恐らく会社で1、2の法律通だ」と評価する人が出てきます。そしてこの努力が意外に早く報われる時がきます。同社が開発した「旭ダイヤライザー」というカセイソーダの回収装置をめぐって帝人と特許紛争がおき、責任者として1年間担当させられます。この男の豊富な法律の知識が功をそうし、結果は同社が勝訴。帝人が10万円払うということで和解に至る。この活躍がこの男が引き立てられるきっかけになりました。32歳で総務課長、37歳で取締役に就任、以後社長、会長として31年もの間経営トップとして旭化成の采配をふるいました。この男が旭化成中興の祖といわれる宮崎 輝です。

その道のエキスパートになれば必ず道が開かれます。例えば銀行員であれば為替なら為替のことを誰よりも知識を持っているという人になれば為替のことになれば上役であろうと何であろうとその人に聞きにくるようになります。そうなればその人の地位は安定することはもちろん、昇進の道は当然開かれるでしょう。さらにこれが1つの銀行にとどまらず、ある銀行界を通じて為替のエキスパートだという事になれば、さらにその人の活動範囲は広くなります。そうなればその人の前途は1銀行家にとどまらず、どこでも迎えられるだけの可能性があるのは当然です。さらにそれが日本で第1の人だということになれば、絶対にかけがえのない人物になり周りがほっておかなくなります。

その道のエキスパートになれば、どんな不況がこようが職に困らなくなります。所属している会社が倒産しようが、例えアフリカの奥地にいても他の会社から必ず引っ張られるでしょう。

会社に不満や、仕事の愚痴を言っている暇があればその道のエキスパートになるように努力をして転職活動をしなくても職に困らない、そのような人物になれるように頑張りたいと思います。                         

 文責 田宮 卓
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  1. 2009/05/16(土) 22:33:14|
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